本稿は斎藤幸平,松本卓也ほか『コモンの「自治」論』のまとめノートです.
(斎藤幸平,松本卓也ほか,2023,コモンの「自治」論,株式会社集英社,東京.)
はじめに──今,なぜ〈コモン〉の「自治」なのか? 斎藤幸平
現在,私たちは戦争,インフレ,気候危機などの複数のリスク要因が増幅し合う「複合危機」(ポリクライシス)に直面しています.
例えば気候変動の影響で食糧危機や水不足,難民問題などが深刻化すれば,資源獲得競争や排外主義の台頭によって世界がさらに分断され,それが今度はインフレや戦争のリスクを増大させます.
このような複合危機は,突き詰めれば資本の終わりなき利潤獲得が,地球という人類共通の財産=〈コモン〉を破壊した結果であるため,「人新世」の危機と言えます.
ここで「人新世」とは,資本主義のもとでの人類の経済活動が,この惑星のあり方を根本から変えてしまった時代を指す,地質学の概念です.
また〈コモン〉とは,誰かや企業が独占するのではない「共有物」という意味であり,ひとまずは水やエネルギーや食,教育や医療,あるいは科学など,あらゆる人々が生きていくのに必要で,市場原理にゆだねてはならない,宇沢弘文氏が言うところの「社会的共通資本」を思い浮かべても良いでしょう.
ところが資本は〈コモン〉であったものを解体・独占することで,容易に利潤を手にしていきます.
例えば日本ではまだ公営事業である水道も民営化推進の動きがあり,今後,水へのアクセスが困難になる危険があります.
また公園などの公共の場を,市民の議論を排除しながら,商業施設に変えてしまおうという大資本の動きも〈コモン〉解体の一例と言えます.
さて,「人新世」の危機が深まれば,市場は効率的だという新自由主義の楽観的考えは終わりを告げます.
むしろコロナ禍でのロックダウンや,物資の配給,現金給付,ワクチン接種計画のように,慢性的な緊急事態に対処するために大きな国家が経済や社会に介入する,トップダウン型の政治が要請され,民主主義までもが危機にさらされます.
それが暴走すれば,全体主義に繋がる危険もあります.
他方で私たちは日常生活において,スマホに表示される商品のレビューやGoogle Mapの指示に従って行動しており,自分たちでは何も決めることのできない他律的な存在となっています.
しかも,競争の激しい自己責任型社会に生きる私たちは,他者と協働して,大きな課題に取り組む力を失いつつあります.
それよりお金を稼いで,自分たちの個人的な欲求を満たすほうに関心を持つようになっています.
そのせいで社会がますます資本主義の論理に絡め取られていくという,悪循環に陥っています.
この悪循環を断ち切るために,〈コモン〉の再生とその共同管理を通して「自治」の力を育てていくことが重要となります.
〈コモン〉の再生とは,他者と協働しながら,市場の競争や独占に抗い,商品や貨幣とは違う論理で動く空間を取り戻していくことです.
そして〈コモン〉の再生に依拠した「自治」は,民主的で平等な「自治」を可能にします.
実際「自治」であれば何でもよいというわけではなく,右派ポピュリズム政党に代表されるような排他的な「自治」や,古い体育会系に典型的な年功序列,あるいは能力主義に基づくパワハラやセクハラが蔓延した不平等な「自治」を理想として掲げることは,もちろんできません.
「人新世」の複合危機を乗り越える唯一の方法は,〈コモン〉の共同管理を通じて「自治」の力を鍛えていくことです.
本書『コモンの「自治」論』のために集まった7人の執筆者たちは,そのためのヒントを提示しようとしています.
そして『人新世の「資本論」』でも述べたように,ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェスによれば,3.5%の人々が立ち上がることで社会は変わるのです.
目次
はじめに──今,なぜ〈コモン〉の「自治」なのか? 斎藤幸平
第1章 大学における「自治」の危機 白井聡
第2章 資本主義で「自治」は可能か?──店がともに生きる拠点になる 松村圭一郎
(コラム1 「京都三条ラジオカフェ」がつなぐ縁 藤原辰史)
第3章 〈コモン〉と〈ケア〉のミュニシパリズムへ 岸本聡子
(コラム2 市民一人ひとりの神宮外苑再開発反対運動 斎藤幸平)
第4章 武器としての市民科学を 木村あや
第5章 精神医療とその周辺から「自治」を考える 松本卓也
(コラム3 野宿者支援からのアントレプレナーシップ 斎藤幸平)
第6章 食と農から始まる「自治」──権藤成卿自治論の批判の先に 藤原辰史
第7章 「自治」の力を耕す,〈コモン〉の現場 斎藤幸平
おわりに──どろくさく,面倒で,ややこしい「自治」のために 松本卓也
第1章 大学における「自治」の危機 白井聡
新自由主義が損なう「自治」の能力
私[著者]の問題意識の出発点を端的に述べます.
新自由主義がこの社会を席巻するなかで,私たちは「自治」の能力を育む機会を失ってしまったのではないか,という問題です.
弱肉強食の新自由主義のもとで生き延びるためには,個人の「自立・自律・自己責任」が,かつてない水準で要求されます.
この「自立・自律・自己責任」は本来,「自治」の必要条件であるはずです.
ところが「自立・自律・自己責任」を人々に要求する新自由主義こそが,「自治」に必要な人間の「成熟」を阻害しているのではないか,という矛盾・逆説があります.
そして,その矛盾が際立って露(あらわ)になる場が大学なのです.
資本のための大学でいいのか
大学における「自治」の問題の背景を概観しておきましょう.
第一に,かつては大学は学問研究と教育を担う場として,政治の動向からも経済的動機からも独立しているべきだとされてきました.
いわゆる「学問の自由」です.
また,この理念を具体化するものとして「教授会自治」が長年うたわれてきました.
しかし1990年代以降のいわゆる大学改革によって教授会自治の原則は次々と弱められていきました.
また今日の大学では,産業界の意向を受け入れ,他大学と競争をしながら予算を獲得することが自明視され,「稼げる大学」といったスローガンさえもが,はばかりなく語られるようになってきています.
そうした状況のもとで,世間が大学や学生を評価する基準は「資本の役に立つ機関・人間であること」となり,若年層の市民的成熟を実現する場としての大学という理念は,どうでもよくなります.
また新自由主義的な改革に伴う大量のブルシット・ジョブのせいで教員が疲弊し,教員自身の公共的関心が低下していることも,この問題に拍車をかけています.
なお学術界を軍事技術開発へと動員したいという政治の意向もかねてからあり,それは菅政権による2020年の日本学術会議会員任命拒否事件において露骨に表面化しました.
第二に,サークル活動などにおける「学生自治」の形骸化も進んでいます.
学生自治会の機能不全,さらには活動停止や解散といった事態は多くの大学で見られます.
しかし,これらの現象への社会的注目度は低く,京都大学における学生による立て看板に対する大学当局の撤去処分とそれへの反発や批判といった出来事が,近年ではわずかに注目を浴びているのみです.
若者の成熟を阻害する社会
実際,学生たちのものの考え方も大きく変化しています.
例えば第二次安倍政権の時代に,世間を騒がせていた森友・加計(かけ)学園問題について,駒沢大学教授で政治学者の山崎望(やまざきのぞむ)氏がゼミ生たちと議論したところ,安倍政権を肯定する意見がゼミ生のうちで7割を占める結果となったそうです.
そして学生たちは,政権に批判的な学生に対して「空気を読めていない,かき乱しているのが驚き,不愉快」とまで言い放ったそうです.
(ちなみにこのゼミ生たちは,政治学専攻の学生であったはずです.)
これは山崎氏がたまたま遭遇した特殊な事例では決してありません.
民主主義社会においては権力に対して批判的な視点を持つことが当然で,これが正当にできることが主権者としての「成熟」である,といった常識はもう通用しなくなっています.
そして今の大学では,若者たちの主権者としての成熟を促す教育は行われておらず,教育放棄と言わざるを得ないような状況が広がっています.
新自由主義が奪う成熟,そして「魂の包摂」
このように新自由主義的改革の進んだ大学が生んだのは脱政治化した教職員と,「自立/自律した主体」として成長する機会を奪われた学生たちです.
大学を含め,一般に新自由主義化した空間は,本来そのイデオロギーが前提とするはずの「自立/自律した主体」からかけ離れた主体を生産するという逆説がここにはあります.
これは資本主義の高度化が行き着くところまで行くと,やがて資本主義の価値観を完全に内面化して,自己というものを失った人間が現れるためであると理解できます.
言い換えれば,資本主義は人間の思考・価値観,さらには感性までも「包摂」するのです.
ここで「包摂」とはマルクスの概念であり,本来,誰の指図に従うこともなく自律的に働いていた人が,資本家に雇われて賃労働をするようになると,資本の用意した生産手段や原料を用いて,資本の指図に従って働くようになることを意味します.
そして今や新自由主義は生産過程だけでなく,言わば人々の「魂」をも「包摂」しつつあるのです.
「68年」以降の反革命
歴史的には1968年,フランス五月革命や日本の全共闘運動をはじめとする社会運動が,世界的に起きました.
しかし1970年以降は,「改良」主義的な福祉国家体制しかありえないという観念が世界的な常識となっていく中で,政治的な熱気が低下し,「革命」の観念は忘れ去られました.
新自由主義はその後のさらなる脱政治化と,「持たざる者から持つ者への逆の再配分」を推し進める「反革命」として位置づけられます.
実際マルクス経済学者のデヴィッド・ハーヴェイは新自由主義を,「資本家階級の側からの階級闘争」と表現しています.
全共闘運動──前衛と大衆の乖離から政治嫌悪へ
ここからは日本の学生紛争に絞って,68年の運動が抱えていた問題に言及します.
東大全共闘の運動は日本の学生紛争のシンボルであり,「大学解体」や「自己否定」といったスローガンを掲げていたことが特徴的だと言えます.
つまり国家や資本だけでなく,それらと結びついている大学も批判・解体されるべき権力であり,また東大に入って社会的エリートをめざそうとしている学生自身も,プチブル的な自己を否定しなければならない,というロジックが持ち込まれたのです.
日本の68年の特徴は,この「自己否定」に強くこだわったところにあるように見えます.
これが「前衛と大衆の乖離」を広げ,また最終的に連合赤軍事件における集団内でのリンチや殺害に繋がったと考えられます.
この事件の発生は,左翼運動・政治運動が「関わってはいけないもの」と見られる要因になりました.
日大紛争──温存された腐敗の構造
もうひとつ見ておきたいのが,東大闘争より早く全国の運動に大きな影響を与えた日大紛争です.
日大紛争では国家権力の頂点・佐藤栄作首相が介入し,日大当局と政府は,狡猾な連携によって学生たちの反乱を骨抜きにすることに成功しました.
日大紛争のもうひとつの特徴は,大学当局がデモやストライキを潰すために,右翼勢力のほか,柔道部,相撲部などの体育会の学生を動員したことです.
そして日大では,大学紛争潰しに駆り出された体育会の学生たちが卒業後,大学の職員として雇用されるというケースが出てきました.
田中秀壽(ひでとし)理事長はまさにこのパターンで理事長になった人物であり,このような日大の支配構造の異様さは,2018年の日大アメリカンフットボール部の「危険タックル事件」を機に表面化しました.
しかしその後も田中理事長時代は続き,ついには田中理事長は脱税の容疑で逮捕されました.
このようにして日大は,68年にあれだけの大紛争が起きたのに少しも変われなかったという虚(むな)しい事実を満天下にさらしました.
大学当局が恐れた共産党の伸長
1968年以降の革命運動では,中核派と革マル派の抗争や同じ党派のなかの内ゲバが激化していきます.
私の母校である早稲田大学を例にとると,内ゲバによる最後の死者が出たのはなんと1989年ですから,20年にもわたり両派は殺し合いを続けていたことになります.
その背景には,大学当局が共産党の伸長を恐れていたことがあります.
共産党の勢力拡大を野放しにすると,学生レベル,労組レベル,教員人事レベルにおいて共産党に大学を「乗っ取られてしまう」という恐怖感が,当時は現実的なものとしてありました.
そこで共産党の対抗勢力として,早大当局は革マル派に牛耳られた自治会執行部を温存したのだと考えられます.
実際,1994年にようやく早大当局が革マル派を切ることができたのは,共産党の力が減退して,脅威でなくなったからだと推論できます.
さまざまな大学の当局が統一教会の活動を容認してきたのも,共産党の活動を抑え込むうえで役に立つという判断からだと推測されます.
大学紛争のトラウマとカルトを使った「正常化」
以上の経緯をまとめましょう.
大学当局や国家にとって全共闘の時代は悪夢そのものであり,大学紛争のトラウマを動機として,大学における学生の自主管理は抑圧されていきます.
学生運動と共産党を抑え,事態を「正常化」させるために大学が起用したのが,革マル派や原理研などの左側のカルト(または反共右翼勢力と親和性の高い体育会)だったと言えます.
学生自治の機関が大学当局の黙認のもと,カルトにゆだねられていたことは,一般学生に身近な政治への忌避感を抱かせるには格好の状況であったでしょう.
こうして大学は脱政治化され(そしてレジャーランド化され)た一方でカルトには寛容,という状況が生み出されました.
オウム真理教事件はその延長線上にあります.
空間の新自由主義的再編
さらに時代が下って,2000年代になると,大学では「空間の新自由主義的再編」が本格化していきます.
再び早稲田大学を例に挙げると,2000年代前半に早大当局が始めたのは,各校舎の地下室とラウンジのサークル・スペースを潰すことでした.
これにより学生会館以外の場所から,サークル・スペースが一掃されてしまいました(ただし対外宣伝に使える演劇研究会だけには,大学は手を出しませんでした).
またサークルの部室などが入っていた2つの学生会館が建て替えられ,1つの学生会館に集約されました.
新しくつくられた学生会館はセキュリティが教化され,大学当局の目の行き届く形で管理された空間になりました.
よくわからない学外者などがうろついていた,かつての学生会館にあった少し怪しげな雰囲気は失われたのかもしれません.
同じ時期の2001年には,学生自治寮であった東大の駒場寮から学生たちを立ち退かせるための強制執行が行われています.
(駒場寮出身の知識人,文化人は枚挙に遑がなく,駒場寮は知的生産の空間として重要な機能を果たしてきました.)
ちょうど今問題になっている京都大学の自治寮・吉田寮の明け渡し訴訟も同じ文脈です.
先述した京大の立て看問題も,大学側は景観維持を理由にしていますが,京大の立て看板について「景観を乱している」などと抗議する京都市民が多数いる,といった話は聞いたことがありません.
こうした動きはすべて,具体的な動機があるわけではなく,単に新自由主義化した権力は,管理の行き届かない,自分の目の届かない空間が存在すること自体が許せないのです.
孤立させ,管理せよ
空間の新自由主義的な再編の結果,大学の空間は2つの意味で貧しくなりました.
第1に,人に居場所を与えなくなりました.
あらゆる空間は「私がここにいてよいということを自ら証明しなければならない空間」となったのです.
サークル・ラウンジなどの,私的空間でも公的空間でもない曖昧な空間は,ユルい姿勢で出入りできる場所であり,昼ご飯を買って何となくそこに足を運ぶと顔見知りの仲間がいて,(特別に仲がよくなくとも)一緒に食事をすることができました.
こうした空間を潰した結果発生したのは,「便所飯」と呼ばれる悲惨極まる現象でした(学生のコミュ力が問題なのではありません).
ここまで人を追い込むなど,ほとんど人権侵害なのではないでしょうか.
第2に,2000年代以降の大学ではITを用いたオンラインやオンデマンドなどの授業形態が導入され,他人とできるだけ関わらないで学生生活を送ることができるようになりました.
言わば「孤立のテクノロジー」によって「脱交流」が進んだのです.
少し前までの世代の学生にとっては,教室に行くよりサークルの部室で友人たちと議論しているほうが面白いことも多く,授業に出ないことも当たり前でした.
それでもさまざまな交友関係のネットワークを通じて講義ノートや模範解答や過去問を入手し,試験を乗り切ることができました.
これに対して,今日の大学の学生たちは,とにかく授業に出るよう指導され,管理されています.
それと同時に,大学側はオンラインやオンデマンドだけでなく,ポータルサイトに資料や質問への回答をアップするなど,非常に親切な情報提供を行っています.
孤立させて管理する,これが空間の新自由主義的再編の原則であったようです.
そしてそれを要求してきたのは,子供の学費を払っている親たちでしょう.
「学外者がうろついているような空間は危ないじゃないか」「立て看板だらけのキャンパスは見た目が汚いじゃないか」「授業をしっかり受けさせろ」「レジャーランドだなんていい加減にしろ」「出席を管理して我が子を授業にしっかり出させるようにせよ」「半年で15回授業をやるのが原則なのだから14回しか行われないのはおかしい」
「教育商品」の消費者としての権利主張として,彼らはこのように主張し管理を要求するのです.
しかし管理強化があくまで親たちの要求であって大学の自発的な欲求ではない以上,どの程度の管理が適切なのか大学自身も分かりません.
大学の管理の際限なさは,そのせいかもしれません.
管理への欲望がどれほどのものになっているか,エピソードをひとつ紹介します.
京都の立命館大学では親が子どもたちに学食で使えるプリペイド・カードを買い与えているそうです.
このプリペイド・カードは学食で使うと,何を食べたのかというデータが親のもとに届く仕組みになっています.
ひとりの大人として自立しようとしているはずの場にいながら,食事の管理までされるようになっているのです.
そして,親のほうも子どもの自立より管理を選んでいるわけですし,大学だけでなく,生協までもが自立を阻害する管理のツールを喜んで提供しているということです.
まとめるならば,大学紛争に対する反動として,カルト支配とレジャーランド化の時代があった.
そして,レジャーランド化への批判・反動として,管理の要求が高まった.
それは,消費の論理にもとづく要求でした.
こうして,新自由主義的な空間再編は,大学を「安心安全」な場所へと無菌化することになりました.
「自治」を奪う大人たちの責任
論じてきたように,いまや大学は若年層の市民的成熟を実現する場として成立しえなくなっています.
学園紛争の反動であらゆるリスクを排した結果,大学は学生たちから市民的成熟はおろか,民主主義社会における主権者としての最低限の精神態度すら奪ってしまったのです.
もちろん,そうした状況を生んだのは,大学の教員をはじめ,あらゆる大人たちの責任ですが,こうした主体の登場,群生こそ,いまだかつてない最大のリスクではないでしょうか.
「自治」の実質を取り戻す
日本財団が2019年9月下旬から10月上旬にかけて行った「18歳意識調査」の結果は,日本の若年層が厳しい精神状況に追い込まれていることを物語っています.
自分が社会の一員と感じられず,社会に対して希望を持てず,公共的な事柄について語り合う相手もいない.
そうした砂漠のような生活に精神的充実があるはずもありません.
実際,今,大学では学生の「心の問題」が急増しています.
その一方で,大学は「多様性」「社会に開かれた」といったお題目を世間に熱心にアピールしています.
しかし無菌室と化した今日の大学で,これらの標語が何の「実質」も伴わないことは明らかです.
率直に言って,私は日本の大学が「実質」を回復した空間として再生する可能性について懐疑的です.
もちろん大学内部の人間としてその再生に向けて努力はします.
しかしながら,いまや市民的成熟を達成しうる空間は,大学や公教育とは別の場所に求められるほかないのではないか,とも思います.
第2章 資本主義で「自治」は可能か?──店がともに生きる拠点になる 松村圭一郎
「自由」や「自治」は歓迎されなくなった?
2021年に亡くなった法哲学者の那須耕介(なすこうすけ)さんは,「『自由』が,もう人びとから歓迎されなくなってきている,理念として魅力的でなくなってきている感じがする」とおっしゃっています.
ここでの「自由」とは自分たちで意思決定をする,「自治」のベースになるような「自由」であり,私たちは「自ら治める」こと,つまり「自治」などという,面倒なことに関わるよりも,自分たちとは次元の異なる上からの権力によって統治されたがっているのではないか,と那須さんは問いかけているのだと思います.
たとえば第1章で白井聡さんが大学における「自治」の衰退を分析したように,社会のある一面を見れば,そんな空気も確かに感じます.
しかしながら,私が研究する文化人類学の立場からは,新自由主義化が進む現代の資本主義のもとでも,ある種の「自治」への契機は常にあちこちで芽生えているとも考えられます.
これが本章のテーマです.
貨幣経済の浸透で薄くなる人格的なつながり
もはや「自治」など無理なのだと絶望的になる背景をいま一度,私なりの視点で整理しておきましょう.
まずドイツの哲学者ジンメルが『貨幣の哲学』で指摘しているように,商品であれ,サービスであれ,現代の私たちはお金を持ってさえいれば,他人のことを考えずに自分が欲しいものを買うことができます.
具体的な人間関係から切り離された自由な活動の可能性を手に入れたのです.
他方で貨幣経済の内部では,原理的には,人間的な関係性は意味のないものになっていきます.
そのような薄い人間関係のもとでは,みんなでともに問題に対処する「自治」など生まれてこないのではないか.
私たちはそう想像するでしょう.
マルクスの商品交換理論
このジンメルの話は,カール・マルクスの『資本論』第1巻に出てくる有名な議論とも相通じるものがあります.
商品交換の場面におけるドライな人間関係は,歴史的に見れば当初は共同体の外側にしか存在しなかった.
けれども,この経済関係の担い手としての人間関係が,だんだんと共同体の親密な人間関係に対して優勢になっていった,とマルクスは言うのです.
そして労働力の売買という商品交換にもとづく社会では,誰もが自由で対等な存在として関係するようになる帰結として,売り手も買い手も「自分のこと」に関わるだけになってしまい,「他人のこと」に関心を持たなくなると述べています.
実際,現代の日本では,面倒な問題への対処は行政や専門家に任せて,自分だけが楽しく生きるために消費活動に専念する,新自由主義的なマーケット依存社会の姿が支配的であるように見えます.
古典的な文化人類学における「贈与」と「商品」
文化人類学においても1980年代以前までは,マルクスやジンメルと同様,商品交換は短期的で匿名な関係性に基づくのに対し,贈与は長期的で人格にもとづいた人間関係を構築するという見方が一般的でした.
商品交換と贈与は二分できない
しかし,1980年代以降の文化人類学では,商品交換と贈与は,そんなに簡単に対比できないと論じるようになりました.
「贈与経済的な未開社会」と「貨幣経済的な近代の市場社会」を対比的にとらえる従来の文化人類学の見方が批判され,「商品」をそれ以外の「贈り物」と区別せずに,「モノのやり取り」を連続的にとらえる見方が主流になっていったのです.
例えばどこにでも売っている,とるに足らない商品でも,自分の愛する人が使っていた遺品であれば,故人を偲(しの)ぶ大切な形見になります.
他方で有名人が使っていたありふれた眼鏡が驚くような高値で取引されることも起きます.
このようにモノの意味や価値は固定されておらず,「いつでも交換できる商品」と「交換不可能なかけがえのないもの」という二極のあいだを変遷します.
そしてこのことは,貨幣を介した商品取引という非人格的な関係にもとづく資本主義的な社会が,均質的で固定した不可逆のものではない可能性を示唆しているのです.
商品交換の場である「店」の現実
商品によって結ばれる即時的な人間関係と,贈与的で共同体的な関係は併存しうる.
そう考えたほうが,私たちの経験上の実感とも近いと思います.
わかりやすいのは,実際の商品交換の現場である「店」です.
まずは,私が身近に見聞きした出来事から話しましょう.
私の住む岡山市内に,女性店主がひとりで経営する小さな本屋さんがあります.
ある時,店主が体調を崩して,SNSで休業のおわびを投稿しました.
すると,常連の女性たちが食べものの差し入れをしたり,郵便物を代わりに投函してくれたり,店の玄関口を掃除したりと,みんな誰に言われるでもなく,そうした手助けを買って出たのです.
このように,本の売買という商品交換の場であっても,ある種の人間関係がつちかわれています.
居場所としての「店」
この書店での助け合いは,小さな「自治」の芽であると私は考えます.
そして,この書店での出来事は,特殊な事例ではありません.
人と人との「つながり」をつくり出し,「自治」の芽を育む可能性を「店」が持っていることを,私は大学で指導している,たくさんの学生たちの調査から教えられてきました.
例えばある学生がフィールドワークした,40代の店主Uさんがひとりで切り盛りしている岡山市内の古着屋は,長い人間関係を育むある種の「居場所」にもなっていました.
店には高校時代から常連客だったふたりが運営する「リメイク部」があり,また店のすぐ脇にある喫煙所は保健室のように,ほかでは言いづらい話をする場所にもなっています(Uさんが喫煙所に出ている間は,常連たちが自然と店をまわしていきます).
店主は客の七割の名前と顔が一致するといいますし,お客さん同士のつながりもあります.
この古着屋では服を買うためだけでなく,むしろ店主や常連たちが待っていてくれる場所に若者たちが集まってくるのです.
学生たちの報告は,この古着屋の事例だけにとどまりません.
地元に根づいた商店街の楽器店が,吹奏楽部の生徒たちにとって進路や就職といった人生相談の場にもなっていたり,古本屋で定期的に飲み会や交流会が開かれていて,年齢や性別を超えたあらたなつながりが生まれていたりするなど,「店」の可能性が垣間見える調査は数多くあります.
市場原理と贈与交換のブリコラージュ
こうした「店」での出来事を人類学者の生井達也(なまいたつや)さんは「市場原理と贈与交換のブリコラージュ」と表現しています.
ブリコラージュとは,本来の用途とは違うものをうまく利用して創意工夫していくことであり,そのための道具をつくり出すことでもあります.
この「市場原理と贈与交換のブリコラージュ」によって,市場原理の経済と贈与交換が組み合わさり,即時的に終わるだけではない人間関係や自生的な秩序が開かれていくのです.
生井さんの著作『ライブハウスの人類学』でも,ライブハウスの常連客が店にお金を落とすために,あえてドリンクを多く頼んだり,パーティを開いたり,あるいは逆に店主が客に酒を振る舞ったりする,お金を介した贈与交換のような実践が描き出されています.
この店を拠点とする「市場(いちば)の共同性」は,それぞれが自分の嗜好(しこう)に合わせて好きな場所を選び,そこで消費者の枠を超えた人間関係を築くことで生まれるものです.
それは地縁や血縁によるものではなく,労働組合や協同組合といった,国家と個人のあいだにある「中間団体」と呼ばれる自治組織・アソシエーションでもありません.
中間団体がやせ細った状況で市民がともに社会的な問題に対処していく上で,小さな店は人をつなぐネットワークの貴重な結節点となっており,そこで行われている,経済指標などには反映されないささやかな無数の営みこそが,社会の底が抜けるのを防いでいるのではないかと思わされます.
ボードリヤールからグレーバーへ
ところで,ボードリヤールは1970年の著作『消費社会の神話と構造』で,「あらゆるものが消費社会に置き換わっていく」と述べました.
確かにその傾向は強まっていると思います.
例えば水がペットボトルに入った商品として売られている状況は,50年前の日本では想像もできなかったでしょう.
ただし,ボードリヤールの本が刊行されて50年以上経っても,そこで描かれた「消費社会」が完成したとはいえません.
実際,文化人類学者グレーバーは『アナーキスト人類学のための断章』という本のなかで,国家や資本主義が社会全体を覆いつくすことはないと述べています.
つまり消費社会になっても,新自由主義的な市場経済のロジックに包摂されない「すきま」が常に生まれているのです.
これまで紹介した店は,まさにその「すきま」のような場所かもしれません.
「自治」の固定概念をひっくり返す
ただ,店というすきま的な場でのささやかな営みが「自治」と言えるのか,という疑問も出てくると思います.
なるほど,確かに「自治」(autonomy)は語源にさかのぼると,「自分自身」(autos)に「法」(nomos)を与えるもの,という意味になります.
しかし,本当に法を立てることだけが「自治」の方法なのか,と問いたいと思います.
店における共同性は,かつての共同体のように永続的なものではなく,足を運びたいと思う人だけが関わればよいという,開かれた自由な関係が保たれています.
そこには,統治のための厳格な法や罰則は必ずしも必要なく,また個人経営の店には選挙や代表制といった,政治らしい政治もありません.
店を足がかりに発生する小さな共同性は,法を立てて逸脱者を排除するのではなく,逸脱者が生まれる手前で手を差し伸べ合ったり,学び合ったりする場になっている.
その営みは,「自治」という概念自体を再考するよう,私たちに促しているように思います.
生き延びるための「すきま」
ここで再び店主Uさんの古着屋の事例に戻りましょう.
この古着屋では経済的にも家庭環境的にも恵まれない若者たちが集い,互いを支え合う関係が築かれています.
この店はK君という不登校の高校生の居場所にもなっており,K君の親が店にお礼を述べに来たとき,Uさんは「古着屋でも学校の先生みたいなことができる」と感じたと言います.
自治体などの行政が,この店のような役割を果たそうとしても困難です.
公的ではない私的な空間であるがゆえに,逆に公共的な役割を担えるのです.
こうした事例から見えてくるのは,学校や行政というシステムからこぼれ落ちる部分を補い合う人々の小さな営みが町には無数にあるのではないかということであり,そうしたシステムの「すきま」に生まれている自律性を,一種の「自治」としてとらえ直すことができると思います.
バラバラで小さい店の自由で柔軟な「自治」
最後に「自由が人びとから歓迎されなくなってきた」という,冒頭の那須さんの言葉に戻りましょう.
ここまで紹介してきた店に集っている人たちは,人任せにしていたでしょうか.
自分が好きだから店に集まり,わざわざその店で商品を買い,そこで起きた問題に自発的に対処していました.
そこには,何かを強制する仕組みも,わずらわしい義務も見当たりません.
店に行きたくなければ,行かない自由がある.
そこには,人任せにしてもいいと思える大きな社会のなかに,人任せにはしたくない小さな自治的な公共性が生まれているように思います.
おそらく,そうした小さな場は,常に生まれ,求められ,完全に消滅することはないでしょう.
そして小さいからこそ,それを個人で立ち上げたり客として支援したりできます.
また小さいからこそ,それぞれが多様な人々の嗜好に合わせた場所になることができ,システムからこぼれ落ちる,いろんな差異にあふれた人たちの問題に関与しうるのです.
独立自営業という希望
土地持ちの小農や小企業の経営者などの独立自営業者は,マルクス主義の伝統では「プチ・ブルジョワジー」として軽蔑の対象でした.
しかし政治学者のジェームズ・スコットは,自立し,「自由」の感覚と自尊心に富む彼らこそが,活発で独立した公的領域の基礎をつくり出し,平等性と生産手段の大衆所有制への可能性を生み出すと考えました.
私が店に魅かれる理由も,このあたりにありそうです.
あらたな政治/自治への想像力を持つこと
資本主義とか,市場の新自由主義のイデオロギーとか言われると,私たちはひとりでそれにどう立ち向かっていけばよいかわからず,途方に暮れると思います.
そこで資本主義のただなかにありながらも,孤島のように,資本の論理とはまったく違う形で営まれている店から「自治」を考えてみる.
失恋して苦しむ人に,さりげなく配慮する.
不登校の子が安心して通ってきて気楽に話ができる場所をつくる.
こうした市場(いちば)における自発的なケアの営みは,国会や国連総会などの大きな組織的な場で行われる政治と違ってとても小さく,ほとんど社会的に評価されることはありません.
しかし,それも立派な「政治」であり,町のなかの小さな場所を自分たちの守るべき「コモン」だと思える人たちが集うことで生まれる「自治」なのです.
このように「政治」や「自治」そのもののイメージを刷新することで,それらを自分たちの暮らしに引きつけて自分ごととして考えられるようになる希望が得られるでしょう.
コラム1 「京都三条ラジオカフェ」がつなぐ縁 藤原辰史
「京都三条ラジオカフェ」は京都の市民が奮闘して続けているコミュニティ・ラジオであり,テレビでは拾いにくい声を拾い上げ,人と人をつなぐ,地域に住む人びとの「自治」の礎のひとつとなっています.
その放送局は,雰囲気のいいカフェを運営し,スタジオの中と外の「縁」をつなぐ役割を担わせてきました(残念ながらカフェは2017年に閉店しました.)
ラジオとテレビの放送に必要な電波は,本来は〈コモン〉です.
ただ暗黙のうちに,公共の放送はNHKが担い,営利目的は株式会社が担うというルールができていました.
「京都三条ラジオカフェ」は,そのような状況下で官僚と粘り強く交渉し,NPO法人として初めて放送免許を勝ち取った「コミュニティFM放送」です.
本来は万人の共有物である電波は,「自治」の活性化にとって不可欠の情報媒体です.
これを多くの人々の地域活動のために利用してもらうという「京都三条ラジオカフェ」の試みは,(動画サイトでの配信のように)情報媒体がパーソナライズ化される中,私にはかえってその意義が今後高まっていくのではないかという感触を得ました.
第3章 〈コモン〉と〈ケア〉のミュニシパリズムへ 岸本聡子
「自治」とは暮らしの未来を考える行為
この本の母体となった「自治研究会」が立ち上がった2022年の春,私はまだオランダを本拠地とする政策NGOの研究スタッフとして働いていました.
とりわけ民営化されてしまった水道事業を再び公営に戻す市民運動に深くかかわっていました.
ところが3月に長期休暇を取って日本に帰国した際,市民運動のプラット・フォーム「住民思いの杉並区長をつくる会」から「三ヶ月後の区長選挙に立候補してほしい」という打診を受けました.
地方自治こそが民主主義を再起動させる最重要のカギであると長らく考えていた私は,出馬要請を引き受けました.
「住民思いの杉並区長をつくる会」は,当時の区長のもとで決まっていた児童館の廃止や道路拡幅計画などに不満や怒りを抱く人たちやグループが集まってできたゆるやかな連合体であり,彼ら,彼女らは数年も前から自分たちで政策集を準備し,それに賛同してくれる候補者を探していました.
それはまさにあるべき「自治」の姿であり,私は何より,その実践に心を動かされました.
選挙戦の終盤では私のほうが地べたに座り,マイクを持つ有権者たちのアピールをじっくり聴かせてもらうというスタイルも定着してきました.
このような対話こそが民主主義のベースであり,区民とともに政策まで考えて選挙を戦うという形が,本来の地方自治だということに多くの区民が共感してくれた.
それが,187票差で現職区長を破るという奇跡のような選挙結果として実を結んだのでした.
国政ではなく地方自治から始める意味
地域に暮らす人々の悩みやアイディアを住民同士で熟成させ,それを政策の実行プロセスに乗せることのできる地方自治には,間違いなく大きな希望があります.
他方で,国政は社会を変える大きな権力を持っていますが,ほうっておけば,国家が奉仕する対象は,大企業や超富裕層だけに傾いていき,その結果,本来,公共であるべきものが独占的に私物化されていきます.
しかるに,1%の権力層が独占しているものを,国政レベルで一気にひっくり返して取り戻すことは困難でも,地方自治という足元のところから少しずつ逆転させ,公共を再生していくことのほうが,まだ可能性があります.
まずはNGO時代に私が欧州で関わってきた水道事業の脱民営化の事例を中心に「公共を取り戻す」プロセスを見ていきます.
民営化の正体──国家と資本の癒着
1980年代から新自由主義の波が押し寄せる中,「非効率な」公共事業はできるだけ民間に任せたほうが効率的で安価にサービスが提供できるというお題目が唱えられ,欧州の公営水道事業は,次々と民営化されていきました.
水道事業だけでなく,新自由主義の総本山イギリスではサッチャー政権以降,電気,石油,ガス,鉄道,航空,郵便,通信などの生活に必要な〈コモン〉が次々と民営化され,国家と癒着した企業の「儲(もう)け」の道具として扱われるようになっていきました.
ところが実際には,民営化された後のほうが,問題が増えていったのです.
水道事業を例にとれば,費用削減のため水質の管理や設備の更新がなおざりになり,罰金を払ってでも基準値以上の汚水を垂れ流し続けたほうが安くつくと判断する民間事業者さえ出てきました.
また水道料金の大幅な値上げも各地で行われました.
その結果,「水貧困」世帯はイングランド地方では17.4%にのぼると言われています.
このような問題が起きるのは,民営化に伴い,経営陣への高い給与や株主への配当といったコストが生じ,水道事業を扱う大企業は余計に利益を確保しなければならなくなったからです.
さらに運営の仕方や経理の内幕が,「私企業」の秘密だからという理由でブラックボックス化され[外部からの監視が機能しなくなっ]たことも問題です.
[しかも私企業が水道事業のノウハウを独占する]「民営化」は「自治」の力を潰し,奪うのです.
〈コモン〉が商売の道具となったことで,不利益を被った99%の普通の人々の不満は,やがて再公営化を求める市民運動のうねりとなり,欧州各地の地方自治体を動かしていくようになりました.
〈コモン〉の管理から始まる「自治」
特にスペインのバルセロナ市では,「バルセロナ・イン・コモン」という地域政党が,水道・住居・エネルギーをめぐる市民グループや協同組合などの連帯経済や自治組織の担い手の団体から生まれ,〈コモン〉の拡充をはかる女性市長が2015年に誕生しました.
あるいはフランスのパリ市では,2009年に水道再公営化を果たした後に,水道事業の運営に市民も参加できる水道事業の仕組みが誕生しました.
つまり公共サービスの再公営化をするにしても,単に行政任せに戻すのではなく,市民が積極的に参画し,民営化で失われた〈コモン〉の管理権を自分たちの手に取り戻そうとする自治的な動きが起きており,このような事例は民営化に抗する「“市民”営化」と呼べます.
「市民営化」された水道事業は,短期の利益しか考えない企業と違って,長期的な視点で水源流域の土地や環境を守り,人々の健康を守るための水質維持を目的にすることができます.
また,この新しい水道公社「オー・ド・パリ」が,ほかの自治体が水道を再び公営化する際に直面する問題を解決できるように積極的にサポートしている点も重要です(私的企業であれば,わざわざほかの会社にノウハウを流出させることはしません).
国家と資本の癒着の温床となってきた「官民連携」とは対照的な,このような「公公連携」を深めていくことも,「自治」の力をつけていくための実践のひとつと言えるでしょう.
国家と資本を恐れないフィアレス・シティ
新自由主義的なイデオロギーのもと,公立小学校で提供される給食の食材・食品についても,企業の国籍を問わず,必ず競争入札することがEUで義務付けられました.
これは言わば給食が大企業の金儲けの道具になるように,という「配慮」であり,この入札制度の結果,地元の新鮮で安全な食材・食品は「コストが高い」と排除され,グローバル企業が供給するパッケージ化された加工食品ばかりが,給食のテーブルに並ぶようになりました.
競争入札制度を押しつけるEUとグローバル企業に対して反旗を翻せば,EU委員会から制裁を受けます.
しかし,知恵を絞ってEU委員会を説得し,入札を回避した自治体があります.
フランスのグルノーブル市です.
子どもの食育のために地元の農地を訪問する必要があるという理由を掲げ,結果として地元産の有機野菜を給食に提供するという道筋をつくったのです.
グルノーブル市のように創造的な政策を繰り出し,EUや国家による制裁をはねのける自治体は数多くあり,これらの自治体は「フィアレス・シティ(恐れぬ自治体)」と呼ばれています.
「フィアレス・シティ」は住民の「住む権利」や地域環境を守るために,自由主義経済ではタブー視されがちな資本の規制をも恐れずにやっていきます.
たとえば前述のバルセロナ市やオランダのアムステルダム市は,賃貸住宅を民泊に転用するオーバー・ツーリズム(過剰な観光業)から市民の「住む権利」を守るために,民泊や短期観光宿泊施設の規制を始めました.
さらにアムステルダム市は気候変動を念頭に,化石燃料産業の広告を規制することにも成功しました.
またアムステルダム市を含め,気候危機に対応する都市計画として,自動車の乗り入れの制限をする地区を積極的に増やしている欧州の都市はますます増えています.
ミュニシパリズム──広がる市民の挑戦と自治体の連帯
再公営化で〈コモン〉を取り戻したり,フィアレス・シティとして国家やグローバル企業に抵抗したりする地方自治体の手法やビジョンは,国境を越えて共有され,数多くの自治体が連帯し,頻繁に会議を開くようになりました.
このボトムアップ型の動きは「ミュニシパリズム」と呼ばれるようになりました.
ミュニシパリズムは日々,耕されている運動なので,厳密に定義することはできませんが,自治体主義・地域主権主義などと直訳できます.
ただし,そのようなお堅い熟語からは見えない豊かさが,ミュニシパリズムには含まれています.
具体的には,選挙による間接民主主義だけを政治の場とするのではなく,市民の直接的な政治参加を促し,地域に根づいた熟議のなかで,「自治」を育むこと.
利潤の追求や市場のルールよりも,市民の社会的権利の実現をめざすこと.
新自由主義から脱却して〈コモン〉の価値を中心に置くこと.
さらに後で詳しく述べますが,この「自治」には〈ケア〉の視点が強く意識されていること,などです.
そうした営みのすべてがミュニシパリズムです.
また政治や選挙における「競争」や「対立」といった価値観を,「共生」や「協力」「包括」「共有」といった価値観に置き換える,政治のフェミナイゼーションもミュニシパリズムの重要な柱です.
そしてミュニシパリズムは排他主義やナショナリズムにもとづく極右思想だけでなく,左派に蔓延する知的なエリート主義とも一線を画し,トップダウンの国家的社会主義・全体主義からも決別します.
むしろミュニシパリズムは,地域社会や草の根から発する市民の集合的な思考や行動を大切にし,「水平的で多様でフェミニン」な関係を築くことを志向します.
政治のフェミナイゼーションと〈ケア〉の思想
コロナ禍をきっかけに,私は自分の活動が〈ケア〉の視点とやや関わりが薄かったことに気がつきました.
コロナ禍でエッセンシャル・ワーカーによって提供された,医療,保健,介護,保育,教育,衛生,食料,流通などは,すべて人々の命に関わる〈ケア〉の分野です.
医療やケア分野の従業者のうち7割以上は女性であり,〈ケア〉の思想は,主にフェミニズムの運動に関わる人々のあいだで耕されてきました.
しかも女性たちは家庭でも家事などの無償の〈ケア〉の仕事をこなす必要に迫られ,そのせいで社会においてはフルタイムでは働きづらく,低賃金の非正規雇用に押し込められてきました.
そもそも〈コモン〉とは誰もが「生きていく」ために必要とする共通財産である以上,脱民営化・再公営化をはかり〈コモン〉の再生を考えるならば,資本主義が抑圧する〈ケア〉の分野とそこで働く人々を守ることも強く意識する必要があったのです.
〈コモン〉と〈ケア〉の両輪
家事労働や育児のケアワークは,有色人種の移民労働者の女性にも押し付けられ,搾取的な関係がグローバル化しています.
こうした問題の解決策として,たとえば,先述した地域政党「バルセロナ・イン・コモン」はデイケア・サービスのコモン化を打ち出しました.
子どもや高齢者のデイケア・サービスを低所得者やシングル・マザーなどに自治体が無料で提供するようにしたのです.
一方,この政策はケア・ワーカーのほうにもメリットがあります.
自治体がきちんとした待遇で雇用し,しっかり対価を払ってくれるからです.
法的な保護の行き届かない雇用に押し込められがちなケア・ワーカーたちには大きな救いです.
〈コモン〉の再生をめざす運動が資本主義の抑圧する〈ケア〉の分野とそこで働く人々を守ることになる,というのは,こういう意味です.
地方自治から国政を揺るがす南米チリ
こうした〈コモン〉と〈ケア〉を政策課題の中心に置いた運動は,南米のさまざまな自治体で活発です.
たとえば,チリの首都サンチアゴのレコルタ区では,寡占状態にある医薬品メーカーが薬価を高騰させ,所得の低い世帯が薬品にアクセスできなくなっている状況を改善するために,薬局の公営化を実現しました.
言うまでもなく医薬品は,人々が生きていくために必要な〈コモン〉であり,命に関わる〈ケア〉の分野にあるものです.
確かに国民皆保険の整った日本の水準からすれば,チリの現状はまだまだと言えるかもしれません.
しかし新自由主義の実験台にされたチリにおいて,薬局の公営化は画期的と言えます.
さらに重要なのは,地方自治体から始まった変革が次々と別の自治体へ手渡されていき,公営薬局のシステムが全国に広がったことです.
そして,地方自治体での小さな変革や運動の積み重ねは,国政をも揺るがしていきました.
具体的にはフェミニズム運動の後押しもあり,2022年にガブリエル・ボリッチが大統領に就任しました.
ところで家庭内で行われる育児,家事,介護は,肉体的にも精神的にも長時間の重労働でありながら,賃金が払われることのないアンペイド・ワーク(無償労働)です.
そこでボリッチは「国民皆ケア・システム」を創設し,まず「〈ケア〉を仕事として認めること」「有償,無償にかかわらずケアに従事する人の権利,すべての人のケアされる権利を確立すること」を目指しています.
それでいて,国家が画一的なサービスを供給するのではなく,地域コミュニティにおいて長年,自律的に行われてきた市民共同の保育や介護を尊重し支援するという姿勢もあり,そこを私は高く評価します.
インソーシングで「命の経済」を耕す
成長や強欲のためではない「命の経済」を耕す能力を,地方自治体は高めていかなければなりません.
地方自治体が仕事を細切れにして民間へ委託したり,企業にアウトソーシング(外部化)したりすれば,公共政策のおよぶ範囲は縮小し,自治体は課題と課題をまたぐ政策の調節能力も失います.
災害など緊急事態の際も自治体では対応できず,すべて企業にお任せ,となってしまいます[他方で企業が問題解決に消極的であれば,人々の命が危険にさらされます].
逆にインソーシング(内部化)を増やし,地方自治体の政策立案や実行能力を高めれば,国の施策を待たずに,地方自治体が主体となって環境問題など,大きな問題への取り組みを進めることも可能になります.
先ほど紹介したバルセロナ市のデイケア・サービスもインソーシングのひとつでしょう.
あるいは外部に任せるにしても,グローバル企業ではなく,利益を追求しない地元の協同組合に発注する「公共調達」も有効であり,公共調達を活かした例としては,特にイギリスのプレストン・モデルが有名です.
このモデルにならった結果,イギリスでは衰退気味だった自治体が復活するケースが相次いでおり,市場原理の新自由主義を牽引してきたイギリスで,逆転劇が始まったと言ってもよいでしょう.
インスティテューションを変えるのは市民
フィアレス・シティやミュニシパリズムの運動の主役は市民であり,私を含め,区長が大きな変化を起こすには,改革を求める市民の声が強く存在するから,という正当性が必要です.
首長の役割は,多くの市民が望み,声をあげれば,物事は変えられるというメッセージを発することであり,またそれを実現するために戦略を練り,さまざまな軋轢(あつれき)が生じても妥協せずに国や企業にモノを言うことでしょう.
地方自治体はひとつのインスティテューション(組織,制度)であり,たった1回の選挙でそのすべてを取り換えることはできません.
過去の大きな決定を変えていくには移行のプロセスが必要であり,だからこそ,杉並区の人たちが自ら政策集を作り上げたように,日頃から市民が声をあげ運動するプロセスを何度でも繰り返してほしいのです.
杉並区の児童館と住民の声
私は区内の児童館の存続を訴えて区長に当選したにもかかわらず,すでに廃止の計画が進んでいた下高井戸にある児童館を閉鎖せざるをえない事態になりました.
けれども,その後も区と住民の対話は続きました.
今の児童館がなくなるなら,代わりに新設される子育て施設の使い方について,住民と子どもたちを交えた協議会をつくろうというアイディアが生まれてきました.
居場所をなくした放課後の小学生たちが使えるように幼児用の子育て施設を一部小学生にも開放する要望があり,それは実現できました.
これは児童館廃止条例が成立してもなお,あきらめなかった地域の皆さんが声をあげ続けてきた成果であり,こうした住民からの声に,区の職員たちが真剣に耳を傾ける土壌もでき上がってきています.
多くの人たちが参加し,未来を構想するのが民主主義だとすると,杉並区の人たちの姿勢には大きな希望があり,この日本でもミュニシパリズムは花開こうとしています.
市民と歩くインスティテューションをつくる
市民の声を反映させるひとつの現実的な手段として,市民が使い道を決めることができる参加型予算があります.
住民自身が,各地域で必要とする投資事業を提案し,その提案のなかから,住民投票で選ばれたものが執行されます.
バルセロナでは,2020年には約113億円が参加型予算に割り当てられており,日本でもすでに参加型予算を導入している自治体はいくつかあります.
上からでもなく,下からだけでもなく
2014年に制定されたイタリア・ボローニャ市の条例「都市コモンズの維持と再生のための,市民と都市のあいだの協働に関する条例」(ボローニャ条例)は,市民と自治体の関係をさらに先進的なものにしたケースのひとつです.
この条例は,具体的には緑地,広場,道路,歩道,学校,廃墟などの公共空間を,市民とともに,再建していくものです.
これが画期的なのは,市民が求めたとき,行政がその声に必ず耳を傾け,市民と共同で施策を実現しなくてはならないという強制力が,条例に含まれている点です.
(神宮外苑をはじめとして,市民との対話なしに,都市や公園の再開発計画が強行されようとしている現在の日本とは対照的です.)
このように,〈コモン〉や〈ケア〉を大事にする価値観を地方自治体のインスティテューションのなかに埋め込むことができれば,資本の言いなりになる国家の圧力をはねのける強力な武器になるでしょう.
少人数で「ここから」始める
この章では,みんなの共有財産である〈コモン〉の再生の運動に〈ケア〉の視点を加えて,ミュニシパリズムを拡充することを訴えてきました.
世界でも,日本でも,確実にそうした運動は成果をあげつつあります.
「どうせ無力さ」とあきらめる姿勢を捨てて,自分の暮らす「ここからなら変えられるかも」という小さな自信を積み重ねていけば,「まさか」と思われることも実現できる可能性が開けてきます.
たとえば,イギリス・オックスフォード市の市内交通機関のサービス改善を求める「We Own It」という,若き女性の市民グループは,わずか3名の小さな運動から始まりましたが,およそ10年後に,長らく民営化されていたイギリスの国有鉄道の一部が再公営化されるという「奇跡」に繋がりました.
これは1例にすぎません.
コラム2 市民一人ひとりの神宮外苑再開発反対運動 斎藤幸平
2021年の東京五輪を前に,新国立競技場の建設と神宮外苑エリアの「整備」という名目で,都営霞ヶ丘アパートは解体され,住民同士助け合っていたコミュニティも失われました.
仕事で手を失った不自由な身体で転居を余儀なくされた菊池浩一さんに取材しながら,「強い者が勝つ」という,そんな再開発でいいのか,と憤りました.
実際,五輪を理由に建物の高さ制限が大幅に緩和された結果,かつての霞ヶ丘アパートの隣には,JSC(日本スポーツ振興センター)の高層ビルと超高級タワーマンションが新築され,強者は五輪にまつわる再開発でおおいに得をしています.
そしてより深刻な問題は,外苑一帯の100年の歴史をもつ森を破壊し,さらに高層ビルを林立させる計画が,あまりに乱暴な形で続いていることであり,おかしなことに,SDGsを謳う大企業がその陣頭に立っています.
さらに再開発の計画では,安価に利用できる軟式球場やバッティングセンターなどは廃止され,高級会員制テニスクラブだけが残ります.
つまり五輪というビッグイベントを口実に,その陰では,神宮外苑の貴重な緑や,市民が手軽にスポーツを楽しめる場,都営アパートのコミュニティなどの〈コモン〉ばかりを解体し,企業の短期的な金儲けの道具に変えようという動きが進められているのです.
(もちろん,その利潤で潤うのはごく一部の企業といわゆる「上級国民」だけです.)
神宮外苑再開発の例に限らず,全国各地で乱開発は進んでおり,さらなる経済成長のために〈コモン〉が収奪されていく未来はすぐそこまでやってきています.
だからこそ,市民の声を無視して開発計画を推し進めようとすれば,必ず強い反対の声が起きることを企業に知らしめる必要があります.
それをきっかけにして,自分たちの地域をどうしたいのかを考えるのが,「自治」に向けた第一歩です.
そして,それを部分的かもしれないにせよ,すでに体現しつつあるのが,今回の神宮外苑再開発反対運動です.
自分も再開発反対の輪に加わって知ったのは,このムーブメントには「たったひとりの指導者」の存在や,立派な組織をもつ「大きな団体」がないということでした.
五輪開催前の新国立競技場問題のときから, 10年以上にわたって,神宮外苑再開発の問題点を粘り強く情報発信している大人たちがいる一方で,大学生の団体がクラウド・ファンディングで,たちまち環境評価調査の費用をつくり,その結果を発表したりします.
地元の小学校の保護者たちは,住民の声を無視する事業者に対して,説明会を強く求める運動を始めました.
神宮外苑の定期的なゴミ拾い活動を主催し,自分たちでこのエリアをケアする実践を始めたグループもあります.
デザインに強い人はチラシや動画の制作を頑張っており,法律や条例に通じた人たちは都議会,区議会の傍聴に精を出し,議員たちとも連携を深めています.
つまり,大きな組織や有名人の力だけに頼るのでなく,むしろ,市民一人ひとりが,自分のアイディアや得意とする力を使って動き始めています.
時に連携し,時に個人で動く.
第7章で解説する「リーダーフル」で自律分散型の動きがどんどん広まっているのです.
第4章 武器としての市民科学を 木村あや
「自治」の種をまく市民科学
東京電力福島第一原子力発電所の事故後,市民が自分の手で食品の放射能汚染を調査する,小さな測定所が日本各地に生まれました.
事故直後から政府は「直(ただ)ちに健康に影響はない」と喧伝(けんでん)し,翌月には「食べて応援」キャンペーンまで繰り広げていました.
そのような状況のなかで消費者が食品汚染を心配しても,その不安が客観的なデータにもとづかない限り,「放射脳」などと揶揄され,生産者に対する差別的な「風評被害」だと非難されてしまう.
そこで市民が自ら食品を計測することを始めたのです.
このような市民による科学的調査は「自治」をつくるためのひとつの重要なツールだと言えるでしょう.
市民科学の先駆
この市民放射能測定所のように,専門家ではない一般市民が科学調査に関与することを英語では「citizen science」と呼びます.
直訳すれば「市民科学」になりますが,日本では「市民科学者」とは市民に寄り添って行動する科学者を指すことが多かったように見受けられます.
このような意味での市民科学ないし市民科学者の先駆として,反原発運動などに関わった核物理学者・高木仁三郎(たかぎじんざぶろう)や,1960年代の静岡県三島市,沼津市,清水町での石油コンビナート反対運動における,鯉のぼりを用いた気流調査,住民が調査を行い住宅地の土壌汚染を国に認めさせた,1978年のアメリカのラブキャナル事件などが挙げられます.
脚光を浴びるシチズン・サイエンス
以上のように,市民が科学的な調査を行い,社会を変えていこうという運動は過去にも数多くありました.
しかし欧米で「citizen science」という言葉が定義されたのは比較的新しく1990年代のことで,コーネル大学鳥類学研究所のリック・ボニーによれば,citizen scienceとは,科学者がボランティアを組織し,明確な実施手順を示し,市民が収集したデータを科学者が検証しながら,一緒にサイエンスを推進していくことを指します.
そして,この意味でのcitizen scienceは2000年代以降,市民が容易にデータを収集・共有できる技術が進展したことで,大きく拡大していきました.
科学をオープンなものにする
citizen scienceは,市民が科学者に「問い」を投げかけ,どのようなイノベーションに資金を提供するかについても発言する機会を持つ,開かれた科学(オープン・サイエンス)をめざすべきだという考えの広まりにも後押しされています.
その背景には,科学者という専門家集団に対する市民の不信感もあります.
中立的で客観的という一般的なイメージとは裏腹に,実際の現代科学では白人・上流階級・男性・植民地宗主国の人々という偏った視点からプロジェクトの立ち上げ,課題の設定,有用な仮説・データと無駄なものとの判定などがなされ,「先住民の知」や「ローカルな知」は非科学的であると軽視・無視されてきました.
こうした状況への反省が,市民科学への期待に反映されています.
市民科学が自治体を動かす
ここで市民科学が地方自治体を動かしたフランスの最近の例をひとつ見てみましょう.
南仏のベール潟湖周辺には石油化学工業の工場が立ち並び,喘息(ぜんそく)などの健康被害に住民は苦しんでいました.
そこで2014年に住民と住民に寄り添う科学者たちが協力し合い,参加型の健康調査を行ったところ,住民の実感通りに健康被害が判明し,データに突き動かされた市長や自治体も一緒になって,国や県による厳しい環境規制と,汚染施設の敷地拡大に反対する運動につながっていったのです.
これは,しっかりしたデータを住民が出すことが首長を動かす,「自治」につながるというよい事例です.
それだけでなく,市民科学は市民同士のつながりを深め,市民がリーダーシップを発揮する機会をつくるのにも役立ちます.
新自由主義とのジレンマ①──「科学の民営化」でいいのか?
しかしながら市民科学は,自治的な取り組みとは逆行するような,構造的なジレンマも抱え込んでいます.
まず,最初にあげたいのは,市民科学が新自由主義の緊縮財政的な側面を補完することになってしまうというジレンマです.
つまり新自由主義のもとで科学への公的な助成が減少するなかで,資金の不足した研究者たちは市民科学という形で,ボランティアに頼らざるをえなくなっている状況が生じています.
すると環境問題に貢献したいからボランティアに参加しても,それが研究費削減を補完することになり,かえって新自由主義的な科学政策を温存してしまうことになりかねません.
このようなジレンマを踏まえて,科学史家のフィリップ・ミロウスキは市民科学を,新自由主義の影響を受けた「科学の民営化」の一環だと批判しています.
新自由主義とのジレンマ②──「自己責任」論が強化されてしまう
また市民科学への参画は,知る権利の拡大,あるいは能力や知識の向上による自立の促進ととらえられる一方で,それは個人が健康と環境について自分で把握して,リスクを減らすべしという新自由主義的な自己責任論と紙一重であるというジレンマもあります.
たとえば原発事故後には,個人線量計を用いて個人で被爆管理を行うことが推奨されたことで,原発事業者と国が負うはずの,被爆をさせない義務が非常に曖昧になりました.
ここまで述べてきたような新自由主義とのジレンマは,市民科学に限らず,自治的な運動や取り組み一般にも言えることかもしれません.
科学主義とのジレンマ①──脱政治化の罠
続けて考えてみたいのが,市民科学が陥りがちな科学主義とのジレンマです.
まずデータが大事だという考えに執着しすぎると,データ量の拡大やデータの精緻化ばかりに夢中になる「データ・トレッドミル」状態に陥り,肝心の社会運動の活動がおろそかになったり,運動に関わる人が疲弊して活力を失ったりする可能性があります.
このようにデータを政治の問題につなぐことができないという本末転倒な現象は,日本の市民測定所のあいだでも起きていました.
政治的なことに関わると異端視され「普通の市民」という立ち位置を失い,さらに女性であれば「科学音痴」で「ヒステリー」だと非難される.
そうした非難を避けるために,「感情的ではない」「政治的ではない」データ収集という科学に専念をしなければならなくなるという,皮肉な構造があったのです.
科学主義とのジレンマ②──データ化できないものの周縁化
さらに科学主義のもうひとつの落とし穴として,数値化やデータ化できない事象が周縁化されていく点があげられます.
たとえば,シェール・ガス開発による環境被害は,多くの場合,貧困にあえいでいる農村部や人種差別に悩んでいる地区で起きています.
しかしながら取得するのが,ベースラインとなるような汚染物質に特化したデータだけとなると,貧困問題や人種問題は蚊帳(かや)の外に置かれてしまうのです.
また環境汚染などにさらされるのは,所得が低く,雇用機会の少ない,時間的にも社会活動的にも余裕がない人々が住むエリアであることが多いため,そうした肝心な場所では市民科学が立ち上がりにくく,データが不足するという状況にもなりかねません.
「つくられた無知」
さらに複雑なのは,「つくられた無知」「つくられた不確実性」の問題です.
たとえば地球温暖化が人間活動に由来し,環境に悪影響をおよぼしているというのは99%の科学者が合意するところですが,汚染企業側はわずかでも違うデータを提出すれば,「地球温暖化が確実に起きているわけではない」「さらなる調査が必要だ」という論調をつくり出すことができます.
また石油産業やタバコ業界は,温暖化や喫煙に関する不都合な問題に対して科学のメスが入らないように,味方となるような科学者だけに資金援助をしてきた経緯があります.
このようにデータ操作に長(た)けている権力者側が,意図的に無知や不確実性をつくり出すような状況では,「このデータにもとづけば,こうです」と言い切れる形にはなかなかなりません.
このためデータで勝負をしようとする市民科学者はデータ・トレッドミルにはまっていき,市民側のリソースと時間が奪われてしまうのです.
データ・ポリティクス──データは誰のものなのか
市民科学が新自由主義や科学主義に関するジレンマに陥らないような道筋を構想するうえで,まずはデータ・ポリティクス,すなわちデータの政治性という問題を考えることにしましょう.
市民科学には,一人ひとりの個人がデータを取るので,きめが細かく解像度の高い,ミクロなデータが取れる強みがあるとよく言われます.
しかし個人が取得したデータはプライバシーにかかわるため,データの共有が制限され,ミクロなデータを集めてマクロなトレンドを取り出すことが難しくなるという問題があります.
実際,自分の家の土壌で放射能を測った場合,不動産価格の低下や風評被害を恐れて,データを一切シェアしないという人もいます.
この問題とも関連しますが,データの所有権もデータ・ポリティクスを議論するうえで欠かせない論点です.
「23andMe」というバイオ企業は,患者間でシェアしたデータを売って利益を得ており,このような事態は,遺伝子プロファイリングによる職業差別の問題やプラット・フォームによる監視資本主義の問題とも関連してきます.
争点隠しの手段に使われる可能性
さらに,市民がデータを取得することによって,市民のまなざしや争点を誘導する力が働きやすいこともわかっています.
たとえば以前,野生動物は遺伝子組み換え作物を食べないという噂(うわさ)がインターネットで広がりました.
そこでバイオテック企業との関係が強い「Biology Fortified」という非営利団体が,それを確かめるような調査を市民科学として立ち上げたのです.
しかし遺伝子組み換え作物の問題の中心論点はもともと,多国籍企業による種子の支配,農薬との抱き合わせ販売による農薬の使用の増加,それによる健康と環境への被害といったことでした.
この市民科学の調査は,リスのような野生動物も食べているから遺伝子組み換え作物は安全であり,それに反対している人は非科学的であるという印象操作や争点のすり替えを行っているように思えます(実際この調査結果が当初の約束に反して,いまだに発表されていないのは示唆的です).
もうひとつ,カナダ・アルバータ州の市民に向けた「NatureLynx」というアプリの事例を紹介しておきましょう.
このアプリを用いて,市民は野生動物の写真を撮って,位置情報とともにアップロードすることができます.
しかしバックには石油業界があり,市民から野生動物の写真を募り,シェール・ガス開発が進んでもアルバータ州には豊かな生物多様性が残っているという印象を与えようとしているのです.
市民か,それとも活動家か──境界線の引き方
次に考えてみたいのは,社会運動と市民科学との関係性についてです.
「政治的な活動をするとデータに色がつく」というのは,放射能測定でもよく言われたことです.
また市民がデータを取って来ても,科学者や企業,国家は,専門性や組織の権威を盾にして素人の取ったデータの信頼性を打ち消そうとします.
そこでデータの正当性を守るために,市民科学においても科学と政治のあいだの線引きをし,政治的な活動をしないという選択を迫られる局面が出てきます.
「科学主義とのジレンマ①」の節でも言及したように,市民科学者は活動家や運動家になってはいけないという縛りがかかることによって,政治的な動きをするのが難しい状況に置かれやすいということも,市民科学を「自治」の道具として磨いていくために考えておきたい問題です.
データの公共性を大事にする
では,ここまで見てきたようなさまざまなジレンマを乗り越えるために,市民科学をどのように構想していけばいいでしょうか.
まず科学が健全に運営されるためには,科学も公共財と認め,公的な,ひも付きでない助成が必要であることを,市民側からも言い続けていかなければなりません.
また新自由主義の論理に回収されないためには,データの取得を自己責任にせず,マクロ・レベルでのデータを公的な責任として取り続けさせることも重要です.
市民科学は公的なモニタリングの代替をするのではなく,あくまでそのウォッチ・ドッグであるべきです.
社会運動としての市民科学を
また市民科学を単なるデータ収集のツールではなく,「社会運動のレパートリー」のひとつとして位置づけたいと私は考えています.
市民科学は,相対的には控えめな「自制的なアクション」の性格が強いため,それをデモなどの「攪乱的なアクション」と組み合わせて初めて,社会運動を前に進める推進力をつくり出すことができると考えられます.
たとえば,前述した南仏で環境基準の規制強化を獲得した事例では,データを集めて分析することと同時並行で,さまざまな政治的キャンペーンがくり広げられていました.
また飼育していた蜜蜂が大量に死んでしまう「蜂群崩壊症候群」に関する市民運動では,フランスでもアメリカでも市民がデータをとっていましたが,実際に原因と見られる農薬の有効な規制につながったのは,デモや座り込みを並行して行ったフランスでした.
「リテラシー」と「データ」の意味を広くとらえる
同時に,市民科学の射程を広げていくことも必要です.
市民科学は,科学リテラシーだけでなく,政治的リテラシーや歴史的リテラシー,文化的リテラシーも高めると私は考えたいです.
さらに科学的データ・数量データのみならず,ナラティブもまた質的なデータとして同列に考えていくような「データの広義化」もまた,問題を社会に対して多面的に提示していく方法になりえます.
「場」をつくる市民科学
市民科学の意義それ自体の再定義をしていくことも重要でしょう.
ポイントはデータを取ることを目的にせず,自分たちが訴えたい主張をサポートするための,たくさんある道具のなかのひとつとして科学的データを捉えることです.
また運動体の内部,そしてほかの団体との信頼関係の醸成の場,情報共有の場として市民科学をとらえることも重要です.
たとえば日本で遺伝子組み換えの菜種(なたね)の追跡調査を行っている市民科学のグループは,調査を全国で実施し,毎年報告会を開催して意見交換や情報共有をしています.
これは言わば祭りと同様,コミュニティ意識を醸成し,個人的な記憶を集団的な理解へと変え,私でも公でもない中間的な空間をつくり,周囲に見てもらう社会的装置としての役割を果たしています.
これと逆の方向をいく典型が,先に紹介したアルバータ州の野生動物調査のサイトです.
環境意識の高い人々がバラバラにデータをアップするだけで,横のつながりが生まれない状況は,バックの石油企業にとって好都合だったはずです.
まとめましょう.
市民科学が直面する,これまで説明してきたようなジレンマを乗り越えるために,近代科学に限定されない,より包括的な「データ」と「リテラシー」に照準を合わせ,市民科学を連帯と協働の場をつくるための手段として再定義する.
それはまた,さまざまな社会運動がめざしていく「自治」のための器を提供するものでもあるはずです.
第5章 精神医療とその周辺から「自治」を考える 松本卓也
息苦しい医療現場
かつての精神医療の現場では,患者も医療従事者たちも,「自治」とは正反対の状態に置かれていました.
実際1960年代の精神医療では,患者を治療して退院できるようにするのではなく,「牧畜業」と同じように,多くの患者を長く留め置くことで利益をあげるという,実に抑圧的な仕組みが続いていました.
また現在の制度でも,本人の同意なく強制入院や隔離,拘束などを行うことができます.
しかしながら「68年」的な社会運動の後に,精神医療の現場でも「自治」をめざす運動が大きなうねりになりました.
日本の精神医療の抑圧的な過去
まず日本の精神医療の歴史を手短に振り返っておきましょう.
戦後の日本の精神医療は,世界一の病床数を持つようになりました.
しかし,これにより精神病院のなかに患者を隔離収容することが常態化し,患者と社会とのつながりが切断されるようになったのです.
2020年の厚生労働省による調査では,いまだに精神病院では1割弱くらいの患者が鍵のかかる個室に閉じ込められたり,身体をベルトで縛られたりしています.
精神医療における「自治」とは何か
かつての精神医療では,患者は精神医療の単なる「受益者」であり,医師やスタッフもまた,その仕組みを利用して生活費を稼ぐ「受益者」であるにすぎず,他者に主体性を譲渡した「服従集団」という側面を強く持っていました.
そのような状態から抜け出すには,既存の精神医療という(しばしば抑圧的な)仕組みを自分たちで工夫して組み換えていき,精神医療の実践それ自体を自主管理する「主体集団」,すなわち「当事者」になることが必要であり,その「当事者」であるという状態を維持していく不断のプロセスのことを,私は「自治」と呼びたいと考えます.
この考えは,精神分析家ガタリの,「服従集団(隷属集団)」から「主体集団」へ,というスローガンを参考にしています.
「68年」の思想と反精神医学
服従集団から主体集団へ,受益者から当事者へ──.
こうした転換を考える場合,すぐに思い浮かぶのは「反精神医学」のことです.
反精神医学は,精神医療の世界で展開された「68年」の思想・運動であり,おおむね次のような主張を持っていたと言えます.
すなわち,精神疾患とは,家族や社会のなかの歪みがひとりの人間の心にあらわれたものであり,必ずしもその「患者」が治療されるべきなのではなく,家族や社会の問題もまた検討されるべきである.
このことが理解されずにいると,精神医療は,スケープゴートにされた個人に精神疾患というレッテルを貼り,その個人を隔離・監禁する仕組みになってしまう.
だからこそ,隔離・監禁の舞台となっている精神病院を改革したり,廃絶したり,それに代わるオルタナティブな場所を自主管理的に運営することを通じて,解放の道を探らなければならない,という主張です.
東大闘争(東大紛争)と日本の精神医療改革運動
日本では東大闘争や全共闘運動などと同じうねりのなかで精神医療改革運動が展開し,そこでは権威主義的になりがちな医局制度や精神医学・精神医療の仕組みそれ自体への根底的な批判が行われました.
医局講座制が劣悪な精神医療の改革を阻害しており,精神科医局は精神病院に寄生しつつ,支配しているという批判がなされるようになるなかで,東大の精神科では,若手医師たちが中心になって医局を「解散」し,東大精神科医師連合(精医連)を結成しました.
そして外来派(教授派)を追い出して,自分たちで病棟を管理し,そのなかでまともな治療を行うべく,「病棟自主管理闘争」を始めます.
学会でも,医師がひとりの患者だけを熱心に治療して研究をすることによって,残りの99人を鍵のかかった病棟でほったらかしにしている状況が批判され,学会解体宣言が提出されることになります.
「反精神医学」のルーツ,イギリスでの実践
ところで「反精神医学」という言葉は,イギリスにルーツがあり,伝統的精神医学における精神疾患,特に統合失調症の概念にもとづいて「患者」とみなされた者を隔離収容するあり方を批判するものでした.
「反精神医学」という言葉を初めて使ったイギリスのクーパーは,「統合失調症」の実態はあくまで,家族のなかの歪みが特定のひとりに押し付けられることで生まれる「狂気」であり,したがって治療の場所では,相互的な関係のなかで自らの生き方の変革がめざされなければならないと主張しました.
またクーパーと並ぶイギリスの反精神医学の主導者レインは統合失調症を,新しい何かをつかみ取って元の場所に戻ってくるまでの「旅路」と見なして,そのプロセスの展開を言祝(ことほ)ぎました.
さらにクーパーとレインはそれぞれ,ヒエラルキーを撤廃して,自主管理によって運営される病棟ないしオルタナティヴな場所をつくろうとしました.
しかしどちらの場所も長続きはせず,その理念も十分には実践されていなかったことが後に指摘されています.
「ふつうの精神科医」の誕生──木村敏
次に日本の精神医療改革運動や海外の反精神医学の後に続く,「ポスト反精神医学」「ポスト68年」の世代を代表する2人として,木村敏(きむらびん)と中井久夫(なかいひさお)を取り上げてみたいと思います.
木村たちの世代は,既存の精神医学・精神医療に「ノー」を突きつけた運動を受け止めたうえで,それでも精神医学・精神医療を全否定するのではなく,どうにかしてそれらを成立させうる土壌を再整備するという,困難で両義的な課題に取り組みました.
木村も反精神医学と同様,統合失調症は「病気」というよりも他人との関係のなかで歪められた「生き方」であると考えます.
しかし「正常者」から見て「非合理的」とされる固有の「生き方」を徹底すれば,「必然的に社会的存在としての人間の解体というところまで到達せざるを得ず」,「究極的には反生命の立場に落ち着くよりほかはない」とも木村は言います.
そこで患者の生命を守るという大義から,場合によっては「正常者」にとって当たり前の物事を患者に押し付ける必要性を認めるものの,そのたびごとに「罪」の意識を持つ必要があるという立場を取ります.
このような木村の態度は,現代にまで続く日本の「ふつうの精神科医」の倫理ともいえます.
「病棟を耕す」という静かな革命──中井久夫
他方,中井久夫は医局講座制を痛烈に批判しながらも,「精神医療は悪だ」と思いながら診察していたら,患者もよくならないといいます.
このような立場から,精神医療改革運動に関わりながらも精神科医であり続けている自分とのあいだで矛盾にさいなまれる精神科医たちをも,中井はケアすることができました.
また現状は医局が近代医療技術を握っているのだから,(医局を解体するというよりも)医局から技術を盗んで,自分の技にして,少しでもましに使えるように知恵を絞らなければならないと,中井は考えました.
さらに,負荷の大きい電気けいれん療法を用いるにしても,治療後に患者がひとりきりで目覚めることのないようにする,あるいは,病棟のなかを往来する時に,出会う患者ひとりずつに声をかけるようにするなど,細やかな工夫も中井は勧めています.
このように中井は,精神病院や精神医療そのものを批判するのではなく,「病棟を耕」し,病院を治療することを実践していたのです.
異質な他者を歓待することによって自分自身が変化する
また木村敏とは対照的に,中井は統合失調症者が「正常者」には思いもつかないような仕方で生き延びていくことを言祝(ことほ)ぎ,マイノリティがマイノリティのままで生きていくことを重視しています.
このような中井の態度もまた,現代の臨床においていくぶん薄められた形で浸透していると言えるでしょう.
たとえば,近年であれば,統合失調症者のみならず自閉スペクトラム症の患者による独特な世界の構成の仕方が気づかれるようになりました.
そして,彼らを「正常」へと矯正するのではなく,彼らが自らの特異性を活(い)かしながら,この「世」になんとか棲まうことができるように支援することによって,マジョリティの側は,この「世」が決して単一的なものではなく,複数的なものでありうることに気づかされるようになりました.
それは,異質な他者(マイノリティ)を迎え入れはしても自分自身は決して変化することのない社会,つまり「多様性」を単なるお題目として肯定しているにすぎない社会ではなく,異質な他者を歓待することによって自分自身が変化する可能性に開かれた社会を構想することにもつながっています.
ポスト反精神医学としてのラ・ボルド病院
「ポスト反精神医学」の先駆的な試みとして興味深いのは,ラカン派の医師ジャン・ウリが開院したフランスのラ・ボルド病院での,「制度論的精神療法」の実践です.
制度論的精神療法とは,病院におけるさまざまな制度を問い直しながら,自主管理的に制度を運営していくことを重視する精神療法のあり方だとひとまずお考えください[詳しくは次節で説明します].
ウリは,精神病院の廃絶を主張する人たちは,社会的疎外と精神病的疎外を混同していると批判しました.
患者が精神病院に収容されざるを得ないような差別が社会に蔓延している状態は,社会的疎外であるのに対し,精神病的疎外とは,簡単には「病」それ自体による疎外と言えます.
そして,精神病院(=社会的疎外)をなくすだけでは,精神的疎外は残ってしまいます.
そこで精神的疎外を改善するためには,精神病院という「器」は残し,一種の避難所や「駆け込み寺」として利用しても良いとウリは考えます.
その上で制度論的精神療法では,個人の治療や患者のケアと並行して,病院や施設そのものも治療するのです.
精神病院を廃止すればいいという反精神医学の粗雑な議論の元凶として,ウリはフーコーのことも批判しています.
「〈言う〉こと」を可能にする「自治」の場
さて,ラ・ボルド病院の患者は自由に院内を歩きまわり,クラブやアトリエで活動することができます.
そしてクラブやアトリエの活動を通して,それまで言えなかったことを「〈言う〉こと」ができるようにすることが制度論的精神療法の治療です.
もし活動自体が目的となるなどして,「〈言う〉こと」ができなくなったとすれば,クラブやアトリエは閉鎖されなければなりません.
文脈は違いますが,これは学校や社会になじめない人の「逃げ場」として機能している現代のオンラインゲームでも,みんなが勝利やランクアップばかりをめざすようになると,より強力な疎外が起きることに似ています.
そのようなことにならないように,絶えず治療環境それ自体を治療していく実践が必要になります.
だから,クラブやアトリエ,あるいは病院そのものも絶えず治療されながら運営していかなければならないわけです.
ラ・ボルド病院の実践は,単に精神病院をなくすのではなく,その制度を自分たちで工夫して運用していく「自治」を重視している点では,中井久夫の態度とも似たところがあります.
反精神医学ではなく「半精神医学」──当事者研究
反精神医学や「68年」的な革命運動が大きな社会構造に厳しく対峙したのに対して,ここまで見てきた中井久夫やジャン・ウリの実践は,よりローカルな,つまり精神病院のなかでの,より個別的な取り組みを繰り広げていったのです.
北海道浦河町(うらかわちょう)にある「べてるの家」もまた,「ポスト68年」という観点から見てユニークな実践をしています.
「べてるの家」は統合失調症などの精神疾患を抱えた当事者たちの生活共同体であり,昆布(こんぶ)の加工・販売などで働く場としての共同体でもあり,互いの面倒を見るケアの共同体でもあります.
この場所のユニークさの象徴が,「幻覚&妄想大会」というイベントです.
普通の精神医療からすると,幻覚や妄想というのは取り去るべき対象[であり,それを語ると症状が悪化するともされているの]ですが,この大会では一番すごい幻覚や妄想を発表した人が優勝するのです.
「べてるの家」の設立に関わった向谷地生良(むかいやちいくよし)は「ポスト68年」の世代であり,かつてのように既存の権力の粉砕をめざすのではなく,専門家と当事者の対等な関係を理想とし,当事者たちが自分の言葉を手に入れるために,共同性や相互性を重視します.
その「べてるの家」で,2001年以降,「当事者研究」と呼ばれる実践が始まります.
当事者研究とは,障害や何らかの問題を抱える当事者自身が自らの問題に向き合い,自助グループの仲間とともに「研究」することであり,与えられた医学の言葉ではなく,自分の言葉で自分の困っていることを表現することを,仲間と一緒に行います.
これは医学的権力と闘うよりもむしろ,当事者同士の横のつながりを重視した「ポスト反精神医学」的な取り組みと言えます.
また既存の医学に対してはそれを「半分借りる」といった態度をとるため,「べてるの家」の人々は自分たちを「反精神医学」ではなく「“半”精神医学」と形容しています.
「ポスト68年」の思想の実践としての「べてるの家」
ところで,かつての当事者への人権侵害に対する反省から,「自分のことは自分で決める」という「当事者主権」が大事だと考えるのが一般的になりました.
しかし「べてるの家」では,「自分のことは自分“だけで”決めない」ということが強調されます.
なぜなら,ひとりだけで自分のことを考えていると,煮詰まったり,考えが変な方向に暴走したりしてしまうかもしれない.
だから,自分とよく似た困りごとを抱えた仲間と一緒に,グループで研究することによってこそ,自分の語りを取り戻すことができると考えるのです.
また,「べてるの家」は「反省」や「批判」というやり方には否定的であり,こうした点も,「自己批判」が重視された,以前の政治的なあり方とは異なる,「ポスト68年」的なものであると言えるかもしれません.
「当事者になる」こと
「べてるの家」の取り組みは,単にマイノリティとしての「当事者“である”」ことに留まらず,「当事者“になる”」という生成変化のプロセスとしてとらえられます.
たとえば,今でも,地方の女子中高生は「女の子なんだから大学なんか行かなくていい」などと言われることがあるようですが,それを「当たり前」のことだと思っていては,何の変化も起きません.
しかし,自分と同じような境遇で生まれ育った少し上の先輩に,大学に進学して自分の道を見つけた人がいたとすれば,その時,初めて「自分も大学に行きたい」という気持ちが生まれ,今までとは違う自分になろうとすることができます.
これは,「マイノリティ」としての女性が「マイナー性」としての女性に〈なる〉,つまり生成変化するということの一例です.
当事者研究の知見によれば,自分とよく似た人たちのグループのなかでこそ,人は初めてこのようなマイナー性に向かう生成変化を獲得できるようです.
そして,そのことはやがて,マイノリティ以外の人たちにも影響をおよぼしていく.
これは,ドゥルーズとガタリが「ポスト68年」において考えた革命のあり方ともよく似ています.
さらに「べてるの家」の人たちは,「統合失調症生活音恐怖型引越しタイプ」「統合失調症内部爆発型発熱タイプ常時金欠状態」など,当事者研究のなかで,自分たちで病名を編み出しています[これらの「自己病名」では,既存の医学から「統合失調症」という病名を「半分借り」ています].
これは,固有名とは複数の声が発せられる非人称的な場のなかで,自分を開いていくことで獲得されるものであるという,ドゥルーズとガタリの思想をそのまま体現したような実践となっています.
「主体集団」がつくる「斜め」の関係
さて,ここまでの議論をまとめておきましょう.
かつて,精神医療には,医師も患者も,強制入院や隔離や拘束を自明のものとする既存の仕組みに自発的に隷従し,その仕組みの単なる「受益者」「服従集団」である時代がありました.
このような精神医療の仕組みに対するラディカルな否定から,反精神医学のような「68年」的な思想と運動が生まれました.
しかし,精神病院を全廃するようなラディカルな運動は,必ずしも成功したわけではありません.
特に日本やフランスのラ・ボルド病院の場合,精神病院をなくすことよりも,むしろ精神病院は維持したうえで,そのなかでいかに抑圧的でないような実践ができるか,ということが問われました.
その際に,彼らは,精神病院の「当事者」として自主管理する「主体集団」となったのです.
空間の比喩を使うなら,そのような「主体集団」は,単に垂直的なヒエラルキーを撤廃するのではなく,水平的なあり方を重視しながらも,かつて存在した垂直的なもの(精神病院)を弱毒化して使う,いわば「斜め」の関係をめざしたのです.
そこで働いている,かつての精神医療や精神病棟との差異を,山カッコつきの〈自治〉と呼んでみたいと思います.
世界をましなものに組み換えるための〈自治〉
本書では,全章を通して「自治」と「 」つきで表記していますが,それとは別に,この〈 〉は,「ポスト68年」の思想であり実践としての〈自治〉という概念を強調したものです.
つまり〈自治〉とは,「一見,便利なもの」に潜む抑圧の構造を認識し,かといってそれを全否定するのではなく,「ちょっとした工夫(+α)」で,既存の仕組みを組み換え,世界の見方を変え,世の中を少しでもましにしていくことだと理解することができます.
たとえば統合失調症や発達障害の人に対するSST(生活技能訓練)は,典型的な患者管理の手法としてよく批判されるものでしたが,「べてるの家」では,自分たちの特異性が抑圧されないようにするにはどうするかということを考えながら,SSTをいわば〈SST〉として使っています.
こうした「ポスト68年」的な〈自治〉の取り組みは,さまざまな領域でありえるでしょう.
コラム3 野宿者支援からのアントレプレナーシップ 斎藤幸平
長年,野宿者支援に取り組むNPO法人「抱樸(ほうぼく)」の奥田知志さんに会うため,北九州小倉を訪れました.
奥田さんたちが新たに企画している「希望のまちプロジェクト」について話を伺い,炊き出しと夜回りにも参加しました.
2013年に生活困窮者自立支援法ができて,たしかに生活保護はもらいやすくなりました.
しかし,生活保護につなげ,アパートに入ってもらうだけでは不十分だと奥田さんは強調します.
単に家がない状態を「ハウスレス」,社会的孤立が続く状態を「ホームレス」と呼び分けるならば,「ハウスレス」はアパートに入れば解決しますが,人との関係を築けず部屋に閉じこもり,困ったときに「助けて」の合図が出せないままであれば,「ホームレス」の状態は続きます.
そこで「抱樸」は「ホームレス」を脱し,野宿者たちが本当の意味で社会復帰をしていけるように,その後も時間をかけて支援をしていく「伴走型」をスタイルとしています.
奥田さんが2013年に作った施設「抱樸館」も,2017年に「抱樸」が買い上げたアパートも,建設費や購入費が数億円単位でかかっており,抱樸はもはや普通のNPOではなく,奥田さんは起業家だと,私は唸りました.
ここでの起業家の精神の意味は,ネグリやハートが言う「アントレプレナーシップ」(第7章)のことです.
そして,度肝をぬかれたのが,現在進行形の「希望のまちプロジェクト」です.
総額15億円のプロジェクトで,北九州の人々が日常的に訪れ,あらゆる人がお互いに助ける側にも,助けられる側にもなれる場所をめざすというのです.
みんなの「ホーム」が,2024年にできあがります.
子どもの貧困,ヤングケアラー,単身世帯の非正規労働者など,「ハウスがあってもホームがない」という状況はいまやどこにでもあり,〈私〉でも〈公〉でもない,「抱樸」のような下からの「自治」の取り組みこそが,この社会的孤立に対応し,地域共生社会をつくることにつながっていきます.
そこにあるのは一方通行の支援・被支援というトップダウンの関係ではなく,血縁ではない新しい「家族」の姿──「家族機能の社会化」──であり,それこそ「斜め」の関係と呼べるものかもしれません.
この誰もが「助けて」と言える空間が,〈コモン〉と「自治」の基礎であり,「抱樸」の挑戦は,新しい社会に向けた第一歩になるかもしれません.
第6章 食と農から始まる「自治」──権藤成卿自治論の批判の先に 藤原辰史
「自治」の問題としての食と農
人類史の黎明(れいめい)期から,「自治」と農業や食は深く結びついていました.
そして,食と農という人間性の砦(とりで)のような領域を通じた「自治」は今こそ検討に値する課題であると思います.
ただ,日本近現代史を少しでも学んだ者としては,食や農を土台にした「自治」という言葉を聞くと心中穏やかではありません.
と言いますのも,この言葉を聞いて真っ先に思い浮かべるのが権藤成卿(ごんどうせいきょう)という思想家だからです.
権藤は1920年代から30年代にかけて,古めかしい漢文調の文体とアナキズムといっていいほどの国家批判によって日本の論壇で一世を風靡(ふうび)した人です.
私は権藤にずっと関心を寄せてきましたが,私にとっては,学ぶべき思想家というより克服すべき思想家と言ったほうが近い.
権藤の「自治」の思想は,現在から考えてもその重要な論点を提示しているけれど,不完全な「自治」に陥ってしまう可能性があるので模倣は危険である,という立場です.
[「農村自治に魅了された柳田國男」「斎藤仁の「自治村落論」」の節を省略]
農本主義の引力
柳田國男が言うように村落共同体の結束が資本主義の猛威の緩衝材になるばかりでなく,斎藤仁や速水(はやみ)佑次郎が指摘するように日本の近代的経済発展の基礎でもあったとするならば,資本主義の発展の犠牲者としての「農」という通俗的なイメージは崩れるでしょう.
これに対し農本主義者は,資本主義や西欧近代に完全に対抗するものとして農村共同体の「自治」を措定する傾向にあり,反西欧,反国家,反エリートを唱え,近代社会に苦しめられる庶民の心をつかんでいきました.
権藤成卿の思想もこの系譜にあり,何よりも重要なのは,民衆の「自治」こそが,資本主義や近代化が引き起こした危機から農村を救うと彼が主張したことです.
しかし,血盟団事件や五・一五事件の黒幕として権藤成卿が名指しされたように,権藤は政治テロを肯定する思想を形成した「ファシスト」という側面が問われています.
権藤は,「自治」を問い直す際に役立つ論点のみならず,「自治」をめざした時に陥りがちな罠(わな)がどこにあるのかを指し示してくれるのです.
権藤成卿とは何者か
権藤は『農村自救論』において,「自治」にもとづき「民」が自主自立していくことで,外からやってくるさまざまな災難から自分たちを自身の力で守り通せると主張し,そのためのヒントを日本古来の歴史をひもときながら紹介しました.
さらに『古事記』を援用して,食とは国のものではなく,民のものであることを主張しました.
権藤成卿の理想──「社稷(しゃしょく)」共同体による農民の「自治」
権藤成卿の農本主義を簡潔にまとめると,土は自然の力と人間の力の交錯する点であり,その力は権力者の私有物ではなく共有物であり,だからこそ土から「自治」が生まれるという主張です.
彼の理想は「社稷」にもとづいた共同体による「自治」でした.
「社稷」とは土地の神を祭る「社」と穀物の神を祭る「稷」を組み合わせた古代中国の言葉で,大地の祭りという意味合いです.
権藤のアナキズム的な側面
このような原点に基づき,権藤成卿は国家による政治を廃棄し,「無政」にすべきだと断じ(『自治民範』),アナキズムに接近していきました.
平等を求めて──大化の改新と班田収授法の評価
ただし大化の改新によって導入された「班田収授法」に関しては,権藤は高く評価しています.
班田収授法では,土地をすべて国有にしたうえで,6年ごとに作成される戸籍に基づいて「口分田」と呼ばれる土地を満6歳以上の男女に分配し,死ねば国家に戻すという制度が導入されました.
これはお金と田んぼという違いを除けば,現代のベーシック・インカムに通じる仕組みと言えなくもない.
一般の史学では,班田収授法はむしろ中央集権的政治の典型であるという評価もありますが,誰もが田を平等に持てるということが人間にとって非常に重要であり,それが保証されるところから「自治」が始まると考え,権藤は班田収授法を評価したのです.
暴力的な改革礼賛と昭和維新テロへの影響
天皇以上の権勢を振るっていた蘇我入鹿(そがのいるか)の暗殺から始まる「大化の改新」は,原始の「自治」を取り戻す画期的な事件だったと権藤成卿は絶賛しました.
権藤のもとにいた若者たちが政治テロに走ったのも理解できます.
権藤は,事件への直接の関与はなかったのですが,血盟団事件に参加した若い農民たちとも交流が深く,五・一五事件や二・二六事件で決起した青年将校のなかには,彼の講演を聴いたり本を読んだりしていた人間が少なからずいました.
軍国主義と農本主義
こうしたテロやファシズムにつながる動きと権藤成卿の農本主義的な思想との関係には,色々な評価の仕方があります.
たとえば,戦後になって,政治学者・丸山眞男(まさお)は,権藤なしに日本の軍国主義化は語れないと批判しました.
丸山は,村落共同体的なものが日本の近代化を阻害し,お上に唯々諾々と従う非主体的な人間をつくり,ファシズムの土台となったとして,伝統的な農村共同体に厳しいまなざしを向けました.
いずれにせよ,権藤に感化された青年将校たちのテロをきっかけに,政党政治に終止符が打たれ,軍部の力が増し,日本の右傾化が急速に進んで行ったのは事実でしょう.
左派と権藤成卿
ただし,五・一五事件の裁判記録などを読むと,右翼とされている青年将校たちの考え方に左翼的な要素も含まれていることに驚かされます.
メンバーには貧困にあえぐ東北地方の農村出身の士官候補生や貧しい士官も多く,国家や特権階級が民衆に暴力を振るっているという切迫感を抱いて決起していました.
そんな労働者や農民の現状を憂えていた青年将校たちが,政府や資本家たちを痛烈に批判し農村固有の価値を説いた権藤成卿の言葉を心強く思ったとしても不思議ではないでしょう.
権藤の時代批判力
こうした権藤成卿の権力批判は,現代でも通用する一面があります.
彼のめざしたものは,自然界の営みを重視したうえでの,食という〈コモン〉をもとにしたアソシエーションの形成という面もあり,それは自然破壊が深刻化する現代において,人を惹きつける何かがあると思います.
本書のもとになった自治研究会でも「危ないのはわかるが,あらがいがたい魅力もある」という声があがったほどです.
村落共同体の完結性と自立性を訴える権藤の自治論にしても,あらゆることがトップダウンで降ってきて,民衆が議論に加わる前にすべてが決まっている現代社会にあっては,とても魅力的に響きます.
リアリティの欠如がもたらした破綻
では,権藤成卿の限界はどこにあったのでしょうか.
それは,農村の現場との緊張感の欠如,もっと言えば無関心です.
権藤は,農村の問題を扱うとき,飢餓や貧困の話をしますが,決まり文句ばかりで具体性と切実さに欠けています.
権藤の議論は,どこか農村で貧困に苦しむ人間たちから遠いところで発信していて,超然としすぎていると言えなくもない.
また古代の称揚という彼の傾向は,同時代のイタリア・ファシズムやナチス・ドイツでも同様に見られるものです.
私が卒論のときから研究しているナチス・ドイツの食糧農業大臣ダレーもまた,古代ゲルマンを過剰に美化し,金(かね)と欲望に塗(まみ)れた現代資本主義への呪詛(じゅそ)を演説で繰り返すのです.
そして農村からの支持を巧みなスローガンで権藤が獲得したように,ダレーも魅力的なスローガンでナチ党への投票者を得ることができました.
しかし,そのどちらも,支持を得た後に過酷な農村の現実とぶつかり,行き詰まりに陥ってしまったという類似点があります.
自己責任論的態度
とともに,権藤成卿の議論でひっかかるのが,民の「自治」の可能性を論じている一方で,まるで説教師のように民に奢侈浪費を戒め,節制を繰り返し説いている点です.
農村恐慌で生糸の価格が下がり,養蚕地帯を中心に苦しい状況に置かれ,1932年には東北地方は冷害で稲が実らず,飢餓に苦しんでいるはずなのに,彼はそれを,生活を節制してこなかった農民たちの自業自得だと言わんばかりなのです.
先ほど述べたように,権藤は農村生活の現場を知ろうとせず,農村の苦境の構造的原因の解析をも素通りする傾向があります.
そうしたリアリティの欠如が,「自分の怠慢を戒めよ」という権藤の道徳を過剰に強めているようにも見えます.
そして,自分のことは自分で,という考え方が,自分たち家族のことは家族で,という論理に置き換わり,さらには,家族のことは女性に,という,「しわ寄せ」の構造も権藤のなかに見られます.
有機農業の身体性
ところで戦後に無農薬農業に取り組んだ梁瀬義亮(やなせぎりょう)は,フィリピン戦線に軍医として動員され,死と隣り合わせの状況で際限なく続く飢えを経験してきた人物であり,尼崎の病院に戻った後も大気汚染公害で肋膜炎(ろくまくえん)を患い,奇跡的に一命を取り留めます.
このような恐怖の経験ののちに奈良県の五條市で開業医となった梁瀬は,その地で農薬が神経症を伴う肝炎の原因となっていることを突き止め,農薬をできるだけ用いない有機農業の研究に着手しました.
そして1959年に「健康を守る会」を結成し,消費者に安全な農作物を直接供給するシステムをつくり上げました(とりわけ消費者として女性たちもたくさん加わりました).
このように梁瀬のたどり着いた有機農業は,本人が経験した身体の危機の延長線上にある,現実性を感じさせるものであり,梁瀬のような身体性を伴った叙述は,権藤にはほとんどありません.
また京都でも1973年に,槌田劭(つちだたかし)さんが中心となって「使い捨て時代を考える会」が組織化されました.
これは消費者が農家に足を運んで手伝ったり,一緒に議論したりして当事者となることでつくられた,ひとつのゆるやかな食の共同体と言うことができ,ここの会も,女性が中心的役割を果たしました.
「自治」の原点は人間関係
槌田さんと,茨城で1970年代から有機農業に取り組んできた魚住道郎さんは,現代の有機農業から,その原点である自治的な人間関係形成の意識が薄くなっているという危機感を抱いていました.
背景にある公害の歴史が思い起こされることなく,単に「有機農業」という新しい市場が形成されているというのです.
そんななかでも,原点の人間関係の形成にこだわっているのが,このお二人であり,特に槌田さんは「使い捨て時代を考える会」という名前の「考える」という部分を強調します.
そして,会の多くの女性が地道に農と食と人をつなげる実践を,迷いながら積み上げてきた過程のほうが,権藤の押しつける「自治」よりも,より「自治」らしいと私自身は考えるのです.
食道付属大学の試み[は省略]
権藤のように食を出発点としつつ,しかし,権藤にあるような清貧の思想の押しつけも,道徳モデルの画一化も,自己規制力の弱さへの攻撃もない「自治」のあり方を探るために,権藤の思考過程を丹念にたどる作業は今なお不可欠だと私は思います.
なぜなら,誰もが善意と正義を抱いたまま落とし穴にはまる可能性があるからです.
第7章 「自治」の力を耕す,〈コモン〉の現場 斎藤幸平
「自治」をめぐるふたつの困難
これまでの議論で何度も出てきたように,「自治」について考えようとする時に直面するふたつの困難がありました.
この困難の解決策についての糸口を見つけようとするのが,最終章のテーマです.
まずひとつめの困難は,いくら「自治」が大切だという話をしても,自分たちの手で社会を変えられるという道筋を具体的に思い描くことが難しいという問題です.
実際,多くの人は「自治は大切だ」というお決まりのフレーズは聞き飽きていて,そんな厄介なものに参加するよりも自分個人の生活を重視したいと感じているのではないでしょうか.
このことは,面倒な政治の意思決定は,AIやアルゴリズムに任せてしまえばいいという「無意識データ民主主義」の改革提案が人気を博していることからもわかるでしょう(成田悠輔『22世紀の民主主義──選挙はアルゴリズムになり,政治家はネコになる』).
もうひとつの困難は,どのような「自治」をめざすべきなのか,定義するのが難しいという問題です.
社会から遊離したカルト宗教団体であれ,陰謀論にまみれた政治団体や排外主義の差別団体であれ,ひとつの自治組織と言えなくはないでしょう.
このことから分かるのは,必ずしもあらゆる「自治」が称揚されるべき存在ではない,ということです.
「構想」と「実行」の分離
「自治」の力を取り戻すためには,現状の「自治」がどうしてこれほど弱体化しているのか,その根本原因をまず探らねばなりません.
その際,第1章で白井聡さんが扱った資本主義による「包摂」の問題が重要です.
資本主義以前の職人たちは,自らの経験に裏打ちされた知識をもとに,仕事の作業内容を「構想」し,自分たちでそれを「実行」していました.
しかし資本主義が広まるにつれ,労働者は資本の「構想」に沿って出される命令(画一的で単純な反復作業)を「実行」するだけの受動的な存在になり,自ら「構想」する能力を奪われていきます.
資本による「魂の包摂」
このように「構想」が資本の側に握られ,労働者が資本にからめとられてしまうことをマルクスは「包摂」と呼んだわけですが,この「包摂」は今や私たちの内面にまで及んでいます.
つまり資本主義のライフスタイルを望ましいものとして積極的に受け入れて内面化し,その枠内で,自分の利益や効率を最大化しようとする人が増えていくのです.
これが「魂の包摂」です.
再び過去を振り返れば,資本主義に社会がのみ込まれる以前には家族,地元,職場などのコミュニティを通じて,貨幣を媒介せずに実行できたことが,たくさんありました.
入会地での山菜採り,衣服や道具の修繕,田植え,道普請(ぶしん),お裾分け,お祭りや町内会などの活動も,貨幣の力を使わない「自治」の取り組みです.
けれどもそこには,家父長制的な因習や年功序列や男女差別,村のしがらみなどが存在しており,だからこそ,貨幣で何でも買える商品社会の到来は「解放」でもありました.
貨幣がもたらした「自由」は自由なのか?
しかし,貨幣がもたらした個人の「自由」を絶対視していいのでしょうか.
むしろ私たちが直面しているのは,メニューにのっている選択肢から選ぶといった程度の,レベルの低い「自由」しか残されていないという問題です.
私たちは,ウーバーイーツで自炊のわずらわしさから「自由」になり,ルンバで掃除の負担から「自由」になった気がしている一方で,実際にはお金を払わないと料理も掃除もできない他律的な存在になってきています.
そして自炊や掃除の負担から解放されて,空いた時間でやっているのは,残業やメールの返信,あるいはスマホで次に買うものをリサーチすることであり,私たちはアルゴリズムによって「おすすめ」されているものを,自分の意志だと錯覚して買うようになっています.
このように商品と貨幣にますます依存し,日常生活においても「構想」する能力を失った,受動的で,他律的な人間に,民主主義や「自治」の自発的実践を期待するほうが無理筋というものでしょう.
コスパ思考が民主主義の危機を深める
それどころか,「魂の包摂」の問題は,近年さらに悪化しています.
その原因のひとつが,個人投資の推進です.
日本でも,「新しい資本主義」という旗印のもと,NISA(少額投資非課税制度)などを政府が推進しています.
その結果,コスパ思考が生活のあらゆる側面に入り込んでくると,究極的には,コミュニティや公共の問題などを考えるのは無駄な行為でしかないという結論になり,私的な利益だけ考える個人が増えていき,その分だけ,公共的な関心が失われていく.
そのことが,民主主義の危機を増幅しているのです.
政治主義の罠
このように考えると,資本主義の「自由」のもとに「自治」や「自律」を高める可能性はありません.
むしろ,その基盤を侵食するのが,資本主義です.
今や,社会のあり方を変えようとするリベラルや左派さえもが,コスパのよい「魔法の杖」に頼ろうとしています.
その典型のひとつが,金融緩和やベーシック・インカムを主張する,いわゆる反緊縮派の議論です.
反緊縮派の問題点は,政治の力を使って,政治家や専門家が「上から」制度や政策を変えさえすれば社会は変わるという,「政治主義」あるいは「制度主義」的な発想にあります.
このようなトップダウン型のやり方では,民主主義や「自治」のために必要な私たちの能力は回復しないまま,人々は貨幣の力に振り回され続けます.
それどころか,「上から」の改革を効率よく推し進めるために,民主主義は犠牲にされ,最終的には,自由や平等が今よりも失われてしまう危険性があります.
なぜ社会の保守化を止められないのか
「魔法の杖」を待望しているのは,反緊縮派だけではありません.
2010年代以降の日本の社会運動のスローガンは,「選挙に行こう」と「野党共闘」でした.
これほど国政選挙ばかりが重視されるのは,政治主義的改革の道しか,私たちが思い描けなくなっている現状を端的に示しています.
けれども,政治主義が引き起こすより深刻な問題は,政党政治のさらなる保守化です.
つまり個人投資の推進によって,大企業の株価が維持されることが多くの有権者の関心事となるなかで,野党も票を得るためには,大企業や富裕層への増税や,金融資本の規制などを強く打ち出すことができません.
同時に,社会の価値観を変えようとする社会運動は「過激」「迷惑行為」「分断を生む」などとして排除されていきます.
しかしながら,保守化した世間の価値観そのものを変えることが,社会運動の本来の目的なのだから,対立はどうやっても避けることができないはずです.
権力の補完勢力に成り下がる社会運動
対立を恐れ,コスパ思考を自明視する結果,ついにはNGOやNPOなどの社会運動の現場さえも保守化していきます.
もちろん社会運動も,お金がないと持続できませんし,行政と協力すべきことが多々あることは否定しません.
しかし,「補助金をもらえそうな事業を起こし,それでコネをつくって政策を変えていこう」「商機を見出してマネタイズしよう」という発想の転換が起きると,行政の下請けになって,公共サービスのアウトソーシング化を助長したり,権力の補完勢力に成り下がったりするだけです.
「上から」の改革に希望はない
そもそも,制度や政策をいじっただけでは社会問題は解決しません.
わかりやすい例が,ブラック企業問題です.
ブラック企業がなくならないのは,それを取り締まる労働法が存在しないからではなく,企業のほうが労働者より圧倒的に強いので,法律があっても「違法労働」がまかり通ってしまうことが原因です.
この例から理解しなければならないのは,いくら「上から」の改革があっても,現場の運用が変わらないなら,人々が救われることは決してないという事実です.
「下から」の変革と「自治」の力
結局,「自治」をする能力が市民社会の側に欠けたままでは,制度・法律・政治家を取り換えるトップダウン型の変革を導入しても,社会は変わりません.
逆に権利を要求する社会運動のほうが力を持てば,今より厳しい法律が施行されなくても,職場における差別やパワハラ,セクハラなどをなくしていくことができる.
人々の規範意識を揺さぶるような「下から」の社会運動が広がっていくなかで,法律の運用もさらに厳格なものへと変更されるでしょう.
私が専門としているカール・マルクスもまた,トップダウン型の法制度改革を「法学幻想」だと批判し,「自治」を育むボトムアップ型の組織「アソシエーション」を広げていくことが,社会を変えていくための基礎だと考えました.
20世紀の限界──社会主義国家と福祉国家の共通点
マルクスの言う,ボトムアップ型のアソシエーションの考え方を参照すると,資本主義を批判した20世紀型の左派運動の限界がどこにあったのかもよくわかります.
まずソビエト連邦に関しては,官僚主導型の「国家資本主義」であったと私は考えていますが,そのことを脇においてソ連を社会主義国家だとみなしたとしても,ソ連型の社会主義は党の命令と官僚の支配が絶対であった全体主義でした.
そこに,マルクスが求めていた「自治」のためのボトムアップ型の組織であるアソシエーションの姿は,まったくありませんでした.
ソ連への対抗軸として,西側諸国がめざした社会民主主義の福祉国家体制でも,程度は違えど,同じような問題が生じていました.
やはり官僚制が肥大化し,また労働組合も左派政党や大企業と癒着した指導部による官僚的組織になっていくなかで,労働者たちの自治組織は失われていき,アソシエーションの芽がつまれていったのです.
このような中央集権的なトップダウンの組織原理を前提とした,20世紀の左派による社会変革構想では,当然ながら,一部の特権層やマジョリティの関心や利益ばかりが優先される,非民主的なシステムが支配的になっていきます.
その結果として,社会主義や福祉国家への批判が強まっていきました.
まさにこの不満や批判を利用して,20世紀末には新自由主義が「自由」や「民営化」を打ち出し,支持を広げていったわけです.
ところが,そこにも「自治」はありませんでした.
これはこれで,過剰な市場競争や民営化を招き,「魂の包摂」が進み,コミュニティは解体され,さらに市民の「自治」の能力が奪われていったのです.
21世紀の新展開──水平的ネットワーク型の社会変革が始まった!
しかし近年,世界では,過去の失敗を踏まえて,トップダウンではない組織原理にもとづいた新しい社会運動をつくる試みが出てきています.
しかも,それが有機的に政治運動とも結びつくようになっています.
日本でも,ボトムアップ型の選挙で岸本聡子(さとこ)さんが杉並区長に当選したのは,第3章にある通りです.
こうした新しい草の根運動の始まりは,「1% VS 99%」というスローガンで有名な「ウォール街占拠運動」をはじめとする,リーマン・ショック後の格差社会に対する2011年の抗議活動です.
その際,彼らは旧来の垂直型の運動を批判し,水平的ネットワーク型の運動を展開しようとしました.
実際,ウォール街占拠運動は「リーダーなき」運動と呼ばれたのです.
「生政治的生産」の力を使う
ウォール街占拠運動の理論的支柱のひとつとなったのが,ネグリとハートによる『帝国』『マルチチュード』『コモンウェルス』の三部作であり,2人は現代のグローバルな資本主義のシステムを〈帝国〉と名づけています.
そのうえで,資本主義が私たちの生のすべてを「包摂」するようになったからこそ逆に,誰でも,どこからでも〈帝国〉に抵抗する主体となりうるというビジョンを提示したのです.
たとえば,私たちは湯船に浸かる間も新しい企画案を考え,息抜きの時間にSNSで写真やビデオをアップしてプラット・フォーム企業を支え,台所でもアレクサが私たちの感情や行動にまつわるデータを収集しています.
このように私たちの生活全体が資本主義のための生産活動の場になっていることを「生政治的生産」といい,それが(GAFAなどによって)搾取されています.
しかしながら,SNSを使って世界中の人とつながったり,ChatGPTを使って新しいアプリをデザインしたりというように,私たちが持つ「生政治的生産」の力を,もっと別の自由な社会をつくるためにも使うことができるはずです.
その社会変革のためのキーワードが,「マルチチュード」と〈コモン〉(共)です.
マルチチュードによる〈コモン〉型社会
まず,彼らの言うマルチチュードとは,グローバル資本主義の支配下にあるすべての人々,多種多様な人間の集合体を意味します.
そして20世紀型のトップダウン型の社会運動とは違い,マルチチュードが水平的な運動のもとで自由や多様性を維持・促進し,各人の能力を顕在化させ,発展させていくことができれば,それこそが〈コモン〉型社会としての〈コミュニズム〉をつくると言うのです.
その〈コモン〉のカギとなるのが,人々が主体性を持って,自分たちで管理しながら,生産するという目標です.
私はそのような取り組みを「“市民”営化」と呼んでいますが,貨幣や商品を媒介しない,誰もが必要とするモノやサービスをシェアする,アソシエーションの取り組みがコミュニズムにつながります.
(実際ウォール街占拠運動では,第二章の松村圭一郎さんの言葉を使えば,商品交換ではない,贈与の次元を資本主義の内部につくり出すことで,資本主義に抗う主体性を形成しようとしたわけです.)
〈コモン〉をみんなで管理するようになることで,「構想」と「実行」が再統一される.
それによって「自治」の力が取り戻されて,民主主義の姿も変わる.
この順序が大切なので,強調しておきましょう.
さて,ネグリたちは水平的な直接民主主義にもとづくウォール街占拠運動を高く評価しました.
世界的には,その後,カリスマ的な指導者のいない運動がある種の常識として根づくようになっていきます.
ルールとリーダー不在の素朴政治?
しかし,ウォール街占拠運動が,本当にそれほどまでに賛美されるべきものだったのかという批判も出ています.
以下では,代表的な批判を3点ほど紹介しましょう.
第1に,ウォール街占拠運動が本当に「99%」の人々の運動になっていたのか,という疑問が出されています.
社会学者ハーウィッツが当時の参加者たちにインタビューを重ねたところ,経済的・時間的な余裕のある人々が,ウォール街占拠運動の中心になっていたことが判明しました.
マイノリティの声を反映するための仕組みやルールはありませんでした.
ふたつめの批判は,直接民主主義の過剰な理想化に対する疑問でした.
たとえば左派加速主義のスルニチェクとウィリアムズは,近年の社会運動における小規模の直接民主主義への固執を「素朴政治」と呼んで痛烈に批判しました.
グローバル資本主義という巨大な敵・気候変動などの大きな問題を前にして,直接民主主義に適した大きさにあえて留まろうとする運動は,結局失敗に終わるという声は根強くあります.
第3に,「リーダーなき」水平主義にこだわると,バラバラな意見を取りまとめることができず,結局,資本主義に代わるような新しい仕組みを提示することもできないという批判もあります.
リーダーと大衆の逆転
それゆえ,ウォール街占拠運動の後,社会運動の側も新しい形を模索するようになっていきます.
また,それに合わせて,ネグリとハートも自分たちの立場を変更していきます.
彼らは2017年に刊行された『アセンブリ』のなかで,素朴政治を乗り越えるために,リーダー(指導者)のもとで,「制度化」や「組織化」を行う必要をはっきりと認めるようになります.
ただ,それは20世紀型の政治や「上からの」改革では決してありません.
ネグリたちはむしろ,リーダーとフォロワー(追従者),ストラテジー(「戦略」)とタクティクス(「戦術」)の関係を逆転させる議論を展開するのです.
つまり指導者が練った長期的「戦略」に従って,現場の大衆が短期的「戦術」を担うのではなく,大衆のほうが先に「戦略」を考え,政治家やリーダーたちがそれを実現させる「戦術」を考えるという,「逆転」の方法です.
本書の例では,区長となった岸本聡子さんがまさに,あらかじめ市民の作った政策集(「戦略」)を実現させる「戦術」を担っています.
水平ではない「斜め」の関係を
ウォール街占拠運動のような水平的運動は,組織化や制度化そのものを上下関係や支配従属と同一視してしまったことに躓(つまづ)きがありました.
20世紀型の垂直的政治を,旧来の精神科病棟における「医者が上,患者が下」という垂直的関係に,ウォール街占拠運動のような水平的運動を,病院の解体と治療の中止に対応付けるならば,ネグリたちが提示する「第三の道」は,第5章で松本卓也さんが言っている「斜め」の関係にあたります.
これを具体的にイメージするために,ネグリたちに理論的転換を迫った,実践の側における転換を見ていきましょう.
現場の模索がミュニシパリズムを生んだ
スペインでもウォール街占拠運動と似たような運動として,「15M運動」という広場占拠運動が2011年に起き,市民の不満の受け皿として,「ポデモス」という新しい政党が政権を取りました.
(同時期にアメリカでは,サンダースが大統領候補として台頭し,イギリスではコービンが労働党の党首になったりしました.)
このような「選挙への回帰」は,スルニチェクによる素朴政治批判への実践的応答でもありました.
ところが,ポデモスもうまくいかなくなってしまいます.
いきなり国政政党をつくっても,政治家たちは,市民の意見を聞くよりも,権力闘争や選挙戦に夢中になってしまう.
そこで,まずはローカルな自治体を変えようという方向転換が起きます.
地方自治体程度の規模であれば,市民たちの意見も反映されやすい.
それに,自分たちの暮らしや地域の問題を解決するのであれば,むしろ自治体における議会や首長のほうが大切なわけです.
そして自分たちのなかから立候補者を選び,地域を変えていこうという動きが,マドリッドやバルセロナで台頭してきています.
これが第3章で岸本聡子さんが紹介している,素朴政治から脱した「ミュニシパリズム」(地域主権主義)と呼ばれる動きであり,それが今,ヨーロッパを中心にして,都市やそこで暮らす市民の国際的なネットワークを形成し,また日本でも花開こうとしているのです.
リーダーフルな運動を育てる
ミュニシパリズムと並んで,「斜め」の運動形態としてもうひとつ重要なのが,アリシア・ガーザが言うように,リーダー的な存在が大勢いる「リーダーフル」な組織をつくっていくことです.
リーダーがひとりではなく,大勢いることで初めて,トップダウン型ではない運動が可能になり,地べたからの民主主義が生まれてきます.
具体的には,コラム2の神宮外苑再開発反対運動が,日本でも芽生え始めているリーダーフルな動きのひとつでしょう.
各人が自分の得意分野で組織化を進めています.
ただしウォール街占拠運動の時のように,マイノリティの声が反映されないという事態に陥らないためには,リーダーフルな状況や組織を増やすだけでなく,誰もが参加できるような民主的なルール・組織形態を自分たちで意識的につくる「自治」の実践が重要になります.
つまり,意識的な「自己立法」こそが「良い」自治に欠かせないのです.
「他律的な社会」を乗り越える自己立法
この「自己立法(オートノミー)」と「自治」についてもう少し考えるために,哲学者カストリアディスの「自律論(オートノミー)」を紹介しましょう.
資本主義も人間がつくった社会システムであるにもかかわらず,私たちは商品や貨幣に振り回され,資本主義のあり方を無批判に受け入れるようになっている.
これは彼が定義するところの他律的な社会にほかなりません.
一方,自律とは自分たちに積極的な制限=「セルフ・リミット」を課すことであると,カストリアディスは定義しています.
「人新世」に必要な自己制限
「自己制限」は「自由」とは一見,馴染まないように思えます.
しかし,資本主義に制限をかけなければ,「人新世」の複合危機は深まり,国家は緊急事態を理由に私たちの自由を制限するようになるでしょう.
だからこそ,自己制限がなければ自律的自治にはならないのです.
絶えざる自律と他律の循環
ただし自律的につくったルールも,時間が経てば自明視されるようになり,他律へと転化していく可能性があります.
けれども,他律化を恐れずに私たちは絶えず問い直し,知や規則を自律的につくり続ける必要がある(そしてそれこそが人間を自由たらしめる)とカストリアディスは訴えます.
たとえば科学者の発言を鵜呑(うの)みにしてしまうだけなら,他律になってしまいます.
市民科学を扱った第4章で,科学リテラシーに依拠した自律と「自治」を政治や社会の文脈にまで広げるという木村あやさんの議論がありましたが,そうした考え方は,他律化のリスクとまさに関連します.
他律的なアソシエーションを避けるために
カストリアディスが求める不断の自己吟味・試行錯誤は,「自治」は「迷い」であるという,第6章の藤原辰史さんの言葉にも通じます.
この観点からは,自分たちの主張内容や内部での権力関係,外部に対する排他性などを十分に反省しない,冒頭で触れた宗教セクトや排外主義運動,陰謀論政党などは,所与の価値観に支配されるだけの他律的なアソシエーションにすぎないと言えます.
それに対して集団的自律とは,万人に開かれつつ,そのなかで人々が新しい社会をつくっていく不断の過程であり,意識的につくり出さないといけない「社会のプロジェクト」なのです.
「自治」におけるアントレプレナーシップ
もちろん,そのようなプロジェクトにも,市民たちの手から離れて,政治や制度が自立化・他律化してしまうリスクはあります.
ポデモスのように党の指導層を社会運動から分離するメカニズムは,「ポピュリズム」に結びつく,とネグリたちは断じています.
政治の他律化を回避し,「自治」を取り戻すには,どうすればいいのでしょうか.
これが本章冒頭の問でした.
この点について,ネグリとハートは「アントレプレナーシップ」が欠かせないと強調しています.
ここで言うアントレプレナーシップとは,いわゆる資本主義における起業家精神ではなく,むしろ〈コモン〉を自分たちで管理していく能力やそのための組織をつくる能力のことです.
それは資本主義に奪われた「構想」する力でもあり,この能力こそがリーダーフルな市民の「自治」を可能にし,政治が市民から切り離されるのを防ぐのです.
経済の領域が変わると,政治が変わる
アントレプレナーシップを磨くことで,私たちは,〈コモン〉を資本主義から取り戻せるようになっていきます.
教育,医療もそうですし,社会的インフラとしての水や電気,公園や図書館,それに付随するさまざまな知識や文化も〈コモン〉として,誰にも開かれた形で共同管理できるようになっていくでしょう.
この〈コモン〉の再生や共同管理を通じて,人々が実質的に意思決定に参加し,統治や制度化というプロセスに携わっていく.
そうすることで,私たちの主体的なアントレプレナーシップがさらに磨かれ,「構想と実行の再統一」も実現されていく.
この循環のなかでより民主的な政治が生まれ,新しい社会の可能性があらわれてくるでしょう.
ポイントは,〈コモン〉による経済の民主化が政治の民主化を生む,ということです.
つまり,政治が変わることで社会が変わるという「政治主義」的なモデルとは正反対に,〈コモン〉の領域が変わることで政治も変わる.
これが私も支持する,ネグリたちの変革戦略です.
「自治」は〈コモン〉の再生に関与していく民主的なプロジェクト
暴走する資本主義から「自治」を取り戻すための道は,〈コモン〉が可能にする平等をもとにして,万人が〈コモン〉の再生に関与していく民主的なプロジェクトであり,それこそがマルチチュードのアントレプレナーシップという形での「構想と実行の再統一」を実現し,「自治」の領域を拡げていくでしょう.
ミュニシパリズムを含め,そのような「自治」の民主的実践に求められるのは,単に水平的な関係ではなく,組織化や制度化をめざす「斜め」の関係であり,組織化や制度化を絶えず反省しつつ,新しい社会を生み出していくことです.
そのような「〈コモン〉の自治」の実践は,すでに世界でも,日本でも萌芽の出てきている21世紀のコミュニズム(コモン型社会)のプロジェクトであり,3.5%の人間がリーダーフルな存在になれば,今私たちが想像するよりもずっと大きく,この社会は変わるでしょう.
おわりに──どろくさく,面倒で,ややこしい「自治」のために 松本卓也
以前からすでに〈コモン〉──すなわち,社会的に人々に共有され,管理されるべき富──の重要性を説いていた斎藤氏の議論は,「古い」とされがちなマルクスから出発しながらも,鮮烈な「新しさ」を放っていました.
対して,「自治」は古い言葉であり,私たち(に先行する世代)のさまざまな実践と闘争の記憶につながることができる言葉です.
だとすれば,〈コモン〉とは「自治」のことだ,と考えてみることによって,新しい装いであらわれた〈コモン〉という言葉を,もう一度過去の歴史や記憶につなぎなおす可能性が生まれます.
学生が自主管理している掲示板では,トラブルが起きたとき,サークル同士や,掲示板を利用する人々のあいだでの,どろくさく,面倒で,ややこしい話し合いが必要となります.
しかしそれを放棄して「上から」の「管理」を求めてしまえば,自由にチラシを貼ることができる「自治」は一瞬にして消滅してしまうでしょう.
だとすれば,「上から」の管理の要求に抗して,対話を続けることが「自治」の条件となります.
社会的に人々に共有され,管理されるべき〈コモン〉とはそんなふうにして苦労を重ねながらずっと維持されつづけてきた「自治」の賜物なのです.