【PDF】國分功一郎『中動態の世界』

現在の言語は能動態と受動態が対立しており,「する」のか「される」のかをはっきりさせて,行為者に「お前の意志は?」と尋問するような性格のものである.
一方かつての言語には能動態でも受動態でもない「中動態」が存在し,能動態と中動態が対立していた (pp.32–35).
そして中動態は生まれる,成長する,眠る,のように動作の影響が動作主の内側に留まる事態を表すのに対し,曲げる,与える,のように動作の影響が動作主の外側に及ぶ事態を表すのがかつての能動態であった (pp.80–91).
中動態は出来事が自由意志とは無関係に,必然的に生起していることを表現するのに適している.
実際 Spinoza 哲学において神が自らをある状態へと生成する過程は,中動態によって表現されている (pp.236–242).

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