本稿は脳・神経科学に関する備忘録である.
人間の意志決定や行動選択を単なる脳活動の産物へと貶める心地良さを読者は容易に体得できるだろう.
1.脳・神経科学に関する全般的な注意
1.1 心身平行論
一般に脳は精神活動を司る臓器であると考えられている.
しかし物質である脳と,我々の心や意識が関係するとはどういう意味だろうか.
何故それらは異質な存在であるにも関わらず関係し得るのか.
関係するとしたら,それはどのような関係か.
脳の活動から意識が生まれるということだろうか.
身体から切り離された水槽の中の脳は意識を持つのだろうか(ここでは脳を身体と区別した).
逆に我々の意識が脳の状態に影響を与えることはあり得るのだろうか.
このような問題は心脳問題と呼ばれることがある.
これは形而上学に属しており,したがって経験科学によってこの問題に対する答を与えることは,控えめに言っても困難であると考えられる.
*
この問題に対する主な立場の1つに随伴現象説がある.
これは精神状態が脳活動に随伴する,すなわち脳活動が精神を生むのに対して精神活動が脳の状態に影響を及ぼすことはないという見方のことである.
ここでは身体から精神への一方向的な作用のみが仮定されていることになる (下図参照).
(フロイド・E・ブルーム他,2006,新・脳の探検 上 脳・神経系の基本地図をたどる(中村克樹,久保田競訳),株式会社講談社,東京,p.20.)
しかし本稿では,身体と精神はあくまで相互作用しないとするSpinozaの心身平行論を採用する.
これによれば身体的状態と精神的状態の間には対応関係が見られるけれど,身体と精神は相互作用せず,物理的な出来事と精神的な出来事は独立に進行する (下図参照).
なお,精神と身体の間に相互作用がないにも関わらず心と体の状態に対応関係が見られるのは,それらが同一の神を表す異なる2つの側面であるからであると説明できる (Spinozaの汎神論).
(スピノザ,2011,エティカ (工藤喜作,斎藤博訳),中央公論新社,東京,p.91,pp.179–187.
河野哲也,2009,暴走する脳科学 哲学・倫理学からの批判的検討,株式会社光文社,東京,pp.44–45.)
心身平行論の主張するように,物理現象は物体の世界で閉じているならば,一般に人の行動の理由を本人の心情に求めることは必ずしも正しくはない.
実際,例えば「悲しいから泣く」と言うのは,正確には悲しいという気持ちに対応する身体 (特に脳) の状態 (あるいはそれを引き起こす,また別の神経活動) が,人を泣かせるという事態を指している.
もっとも,このことを「脳が悲しむと人は泣く」と言うことはできるかもしれないけれど,それは悲しいという気持ちに対応する夥しい数の神経細胞から成る脳の状態を安直に擬人化したに過ぎない.
同様に光や音の刺激が脳に表象されることを,簡単に脳が刺激を“認識する”と述べることができるかもしれない.
しかし言うまでもなくこれもまた擬人的な表現であり,これを文字通りの意味にとってはならない.
実際,この段階では刺激の内容は意識に昇っているとは限らず,これはむしろ無意識における水面下の機械的な処理と考えられる.
また,いくら脳を伝播する生化学的な信号を追ったところで,意識に経験される音の質感 (クオリア) を説明することはではないと考えられる.
精神と物体の異質さは,脳活動が意識(やその内容)を生み出すと考えることを不可能にするように見える (心身平行論).
1.2 自由意志の否定
人間の行動が脳によって支配され,決定されているならば,人間の自由意志は否定されると考えられる.
何か失態を演じたとしても,「脳細胞の膜電位の居所が悪かった」のように言い逃れできるというわけだ(これは「虫の居所が悪かった」という言い回しのパロディーである).
しかしこれは脳・神経科学の知見により自由意志を否定 (あるいは擁護) できるという意味ではない.
むしろ自由意志が存在しないことは,経験科学の知見に左右されない,より根源的な事実であるように見える.
実際,自由意志は論理の中だけで退けられることを示すため,以下では自由意志を否定する必要最小限の議論を行う.
自由意志は,過去からの影響,または物理法則の支配を断ち切り,自発的な行動を引き起こす精神の作用,あるいは行為の純粋かつ絶対的な始まりとして定義される.
それは無気力の中でも自由に発動させることができ,言うことを聞かない身体を強制的に行動へと駆り立てられるものと想定されている (下図参照).
自由意志とは言わば無からの創造であり,不可能を可能にするという自己矛盾であり,その定義により存在しないことが明らかである.
次に自由意志を否定する上で,脳・神経科学的な議論よりも強力と考えられる論拠を挙げる.
- 心身平行論
自由意志は精神が身体に影響を及ぼし得ることを前提としている.
しかし精神と身体は異質な存在であるため,その相互作用を考えることはできない.
- 要素還元論
また一見すると能動的・主体的・自発的な人間の行為も渾然一体としたミクロな粒子の運動や場の時間変化に還元されるため,自由意志を行使し得るような行為の主体は見出せない.
- 自然法則の支配
さらにあらゆる出来事は自然法則に従って必然的に生起していると考えられ,そこに自由意志の入り込む余地はない.
以上のアイデアは哲学者 Spinoza の思想と重なる.
実際 Spinoza によれば,神はこの世界そのものであり,それ故,神即自然と呼ばれる.
そしてあらゆる事物は神の必然性に従って生起するため,自由意志は否定される.
このような考え方は汎神論と呼ばれる (下図参照).
Spinoza の自然観は決定論的であるけれど,本項では量子力学の描くような非決定論的な自然観を認めることにする.
仮に事物がランダムに確率的に生起するとしても,人は世界のなすがままに振り回されてしまうのであれば,そこにも自由意志はないだろう.
このように非決定論を認めたとしても自由意志の存在は保証されない:
決定論 ⇒ 自由意志なし ,
非決定論 ⇏ 自由意志あり .
なお,Spinozaもまた心身平行論を採っている.
なるほど,確かにこのような議論は形而上学に属しており,信じるか信じないかという問題だとも言えるかもしれない.
とは言え,これらは説得力があり,もっともらしく思われる.
自由意志を否定する以上の論点は下図の右半分のようにまとめられる.
1.2.1 理性 vs 感情,意識 vs 無意識
本稿では感情の理性に対する優位性や,無意識の意識に対する優位性に言及することになるだろう.
それに先立って,ここではあらかじめ次のことに注意を促しておこう.
すなわち自由意志が存在しない以上,感情のみならず理性もまた自由意志によってコントロールすることはできない.
同様に
- 先天的・生得的な性質のみならず後天的に獲得される性質もまた自由意志によってコントロールすることはできない.
- 無意識の行動,反射,不随意的な反応のみならず意識的な行動もまた自由意志によってコントロールすることはできない.
1.2.2 「頭を使う」ことはできない
脳・神経科学の知見を活かせば,人は自分の脳をより上手く使いこなせると思われるかもしれない.
しかし一般に何かを理解するということは,それを必然として受け入れるということを含んでおり,対象を変えることとは相容れない.
実際,今の場合,脳を使う「自分」とは一体,誰のことなのだろうか.
「頭を使え」と言われても,頭は自然に働くものであって,脳の支配の外側にある「自分」などあり得ない.
同様に「自分との戦い」「克己」「自律」「自己管理 (self management)」といった表現が違和感を抱かれることなく当然のように用いられるけれど,「自分と戦」い,「己を克服」し,「自らを律」し, 「管理」することのできる主体は見出せない.
自分で自分をコントロールするというのは甚だしい自己矛盾であり,自由意志の概念を想起させるものである.
1.3 骨相学的な誤謬
脳の各部位に単純にその機能を割り当てる,所謂,骨相学的な方法のみによっては,到底,脳の仕組みを理解することはできない.
(フロイド・E・ブルーム他,2006,新・脳の探検 上 脳・神経系の基本地図をたどる(中村克樹,久保田競訳),株式会社講談社,東京,pp.38–40.)
脳の機能は複数の領域の協調的な働きによってもたらされるものだからである.
実際,脳の機能は膨大な数のニューロンの活動によって実現されることを考えれば,専門的な知識がなくとも,事がそう単純でないことは容易に理解される.
脳の機能を右脳と左脳の2元論で片付けようとするのは,骨相学的な誤謬の典型的な例である.
1.4 「脳の活性化」
「脳の活性化」という表現は脳・神経科学において,神経細胞が発火することを指すのであり,「脳が元気になる」というような日常的な意味で用いられているのではない.
したがって脳の活性化は常に至るところで起きていることになる.
この点に注意すれば専門的な知識がなくとも,脳を活性化させると謳う脳トレを似非科学として退けることは容易である.
*
脳・神経科学は未だ脳を理解するには到底及ばない.
脳は1000億個ものニューロンからなる複雑系であり,その特性を少なくとも要素還元論的な立場から理解するのは,Laplaceの悪魔でもない限り不可能であろう.
この点に注意すれば専門的な知識がなくとも,脳科学と称する安易な見解を似非科学として退けることは容易である.
何でも脳波で説明しようとすることも,「安易な見解」に含まれる.
1.5 目的論的自然観の排除
自然の振舞いを説明するために,自然界はある目的を満たすように働いているかのように考えられることがある.
簡単な例を挙げれば以下.
- 「胃は食べ物を消化するためにある」
- 「鳥の羽は空を飛ぶためにある」
- 「植物は日の光をより多く浴びるために枝葉を伸ばす」
- 「天敵に襲われるリスクを減らすために魚は群れを作る」
- 「より強い子孫を残すために生存競争が行われる」
これらは目的論に基づく説明であり,ここで仮定されている目的は目的因と呼ばれる.
しかしながら自然は,例え我々の目にそのように見えるとしても,目的を持っているとは限らず,目的を自覚しているとも限らない.
本稿では機械論的な因果律しか認めない.
このとき上記の例は以下のように訂正される.
- 「胃の働きにより,食べ物を消化できる」
- 「羽の働きにより鳥は空を飛べる」
- 「植物は枝葉によって日の光をより多く浴びることができる」
- 「魚は本能的に群れを作り,結果的に個々の個体が天敵に襲われるリスクは減少する」
- 「生存競争はより強い子孫を残すことに寄与する」(ここでは「強い」の意味や,この主張の是非は問わない.また仮にこれが正しいとしても,このような事実命題だけから「競争するべきだ」という当為命題を導くことはできないことを注意しておく(Humeの法則).)
このように目的論による説明は,原因と結果が逆転していることになる.
1.6 認識論,科学的真理
人間は脳の解釈から逃れられないのだとすれば,いかにして人間は脳を理解することができるのだろうか.
言い換えれば,客観的な真理は,仮にそのようなものがあるならば,いかにして主観によって捉えることができるのだろうか.
このような疑問はもっともである.
しかし私たちが現実世界をありのままに認識していないとしても,科学的な探求は意味を持つ.
現実世界の認識の仕方が私たちに共通していれば,理論の予言が私たちの認識と一致するかについて合意が得られると考えられるからである.
このような考え方は Kant の Copernicus 的転回として知られている(須田朗,2006,もう少し知りたい人のための「ソフィーの世界」哲学ガイド,日本放送出版協会,東京,p.122).
*
もっとも実際には本稿では,世界は我々の外に,我々が見る通りにありのままに存在するという素朴実在論を仮定する.
我々が普段そうしているように,そしてこれまで科学がそうしてきたように.
このとき科学の知見は,それが現実世界と一致するかを確かめて真偽を判断できる可能性がある.
すなわち理論から矛盾なく導かれた予言が現実の自然現象を説明できる限り,理論も正しいと考えられる.
このように現実世界と一致する観念を真理と考える立場は,真理の対応説と呼ばれる(上野修,2012,スピノザの世界–神あるいは自然,株式会社講談社,東京,pp.47–48).
もちろん科学的真理は帰納的推論の産物であるため,蓋然的なものであり,絶対確実な知識ではあり得ない.
2.生体電気信号
本章では神経系における情報処理の仕組みを細胞レベルで記述する.
下図には神経系を構成する神経細胞(ニューロン)と,その補助的な役割をする“脇役の”細胞(グリア細胞)を描いている.
各ニューロンはその細胞体とそこから伸びる樹状突起において,他のニューロンの軸索末端と結合する.
この結合はシナプスと呼ばれる.
ここでニューロンは他のニューロンからの信号を受け取ることになる.
これは言わばニューロンが次のニューロンに信号を送るか,周りのニューロンから“多数決”をとっている状態であり,“賛成票”がある一定数(閾値)を超えると軸索末端へと信号が送られる.
これを発火と呼ぶ.
もちろん,以上はあくまで機械的なプロセスを擬人化した表現であって,例え話にすぎない.
そこで杉晴夫『生体電気信号とは何か』を基に,このようなプロセスを実現している具体的な生物学的機構を以下のPDFにまとめる(杉晴夫,2006,生体電気信号とはなにか 神経とシナプスの科学,株式会社講談社,東京).
*
特に重要な点を以下の画像にまとめる.
以上のノートで十分に網羅できなかった点をいくつか補足する.
- ニューロン説 vs 網状説
と銀染色法にて神経細胞を観察.
ゴルジは神経細胞を,多くの細胞核を持ったひと続きの網の形をした細胞とする網状説を唱えた.
これに対しカハールは別々の細胞が網状の回路を形成しているとするニューロン説を唱えた.
後にニューロン説が正しいことが分かった.
(フロイド・E・ブルーム他,2006,新・脳の探検 上 脳・神経系の基本地図をたどる(中村克樹,久保田競訳),株式会社講談社,東京,pp.40–41.)
- ニューロンの微小管は細胞の骨格となるだけでなく,神経伝達物質を包む小胞体を細胞体から軸索末端へと輸送する際の“レール”の役割をする.軸索末端に達した小胞体はシナプス小胞に他ならない.
- ヤリイカは巨大軸索を持つため,しばしばニューロンの研究に用いられる.
- グリア細胞
ニューロン間の空間はグリア細胞で埋め尽くされている.
-
- 星状グリア (ニューロンの外部の過剰な神経伝達物質やイオンの“掃除”,ニューロンへのグルコースや酸素の供給などに関与していると考えられている.)
- 乏突起上グリア (ミエリン鞘を形成)
(フロイド・E・ブルーム他,2006,新・脳の探検 上 脳・神経系の基本地図をたどる(中村克樹,久保田競訳),株式会社講談社,東京,pp.113–116.)
関連して,視覚系・聴覚系について感覚器官の仕組みを以下の画像にまとめる.
3.脳の構造と機能
脳の主な構造を下図に示す.
3.1 本能・感情 vs 理性
ここでは脳の構造を踏まえて本能・感情の理性に対する優位性について述べる.
ただし繰り返しになるが,脳の機能は複数の領域の協調的な働きによってもたらされるものであり,それは膨大な数のニューロンの活動によって実現されるものだから,脳の各部位に単純にその機能を割り当てる,所謂,骨相学的な方法のみによっては,到底,脳の仕組みを理解することはできないことに改めて注意を促しておく.
(フロイド・E・ブルーム他,2006,新・脳の探検 上 脳・神経系の基本地図をたどる(中村克樹,久保田競訳),株式会社講談社,東京,pp.38–40.)
さて,大まかに言ってヒトの脳は内側から順に
- 原始は虫類脳 (視床,中脳,橋,延髄,脊髄から成る)
- 大脳辺縁系 (視床下部もここに含める)
- 大脳新皮質
の 3 階建てになっており(下図参照),それぞれ
本能, 感情, 理性
を司っているものと見ることができる.
そして上位構造は下位構造に支えられており,感情や欲望が原動力となって初めて理性もまた機能する.
(森崎信尋,2004,脳の世紀~美を感じる能,信念を作る脳~,株式会社近代文芸社,東京,pp.19–24.)
私たちは感情に流されると痛い目に合うことを知っており,それ故しばしば感情を理性によってコントロールすることが重要だと言われる.
もっと言えば,感情には責任を問えないが,理性にはそれをコントロールす る責任があるとすら考えられる.
しかし経験の示すところによれば,感情と理性が闘ったとき,いつでも勝つのは感情である.
Spinoza もまた理性や意志の力だけでは感情を抑制することはできないと考え,次のように述べている.
感情は,それと反対の,しかもその感情よりもっと強力な感情によらなければ抑えることも除去する こともできない.
(スピノザ,2011,エティカ (工藤喜作,斎藤博訳),中央公論新社,東京,p.309.)
このことは恐らく前述のように,感情が理性に対して支配的な影響力を持つようにヒトの脳が仕組まれていることによると考えられる.
我々は本能や感情・欲望がなければやっていけず,必ずしもそれらを理性によって抑えるべきものとして否定的に捉える必要はない.
むしろ理性によって適切な感情・欲望を上手に味方に付けたとき,人間はその力を発揮できるのである.
ただし繰り返しになるが,自由意志が存在しない以上,感情のみならず理性もまた自由意志によってコントロールすることはできないということを強調しておく.
3.2 補足
以降で詳しく言及されない構造を含め,いくつかの脳部位についてはここで取り上げておこう.
- 脳梁
左右の脳半球を繋ぐ神経繊維の束.
- 海馬
タツノオトシゴを意味する,大脳辺縁系の主な構造.
- 扁桃体
アーモンドを意味する,大脳辺縁系の主な構造であり,海馬の先端に位置する.
- 松果体
脳の構造のほとんどは左右に分かれているのに対し,意識は1つに統合されており,左右に分かれていない.そこで正中線上に位置し,同じく構造が左右に分かれていない松果体こそ,脳と意識の相互作用する場所(Descartes劇場)であるとDescartesは考えた.
しかし同じ理由で,例えば脳下垂体もまたDescartes劇場の候補となり得る.
心身平行論を唱えるSpinozaは,精神が松果体において身体に作用するというDescartesの説に批判的である(スピノザ,2011,エティカ (工藤喜作,斎藤博訳),中央公論新社,東京,pp.414–417.).
- 間脳
視床と視床下部から成り,視床下部は下垂体と連絡している.下垂体はホルモンなどの内分泌に関係している.
- 小脳
運動の遂行に関係していると考えられる.
小葉と呼ばれる突起から構成されていて,表面から順に
分子層,プルキンエ層,顆粒層,白質
の4層構造になっている.
プルキンエ層にはプルキンエ細胞1個分の厚みしかない.
(フロイド・E・ブルーム他,2006,新・脳の探検 上 脳・神経系の基本地図をたどる(中村克樹,久保田競訳),株式会社講談社,東京,pp.319–324.)
運動の学習は神経細胞間の結合を増やすのではなく,むしろ結合を“刈り込む”ことで洗練された運動が実現されると言われている.
4.脳・神経科学の概観
本章では一般向けの脳科学の著書,池谷祐二『進化しすぎた脳』の内容を基に,脳・神経科学に関する雑多な話題を概観する(池谷裕二,2007,進化しすぎた脳 中高生と語る[大脳生理学]の最前線,株式会社講談社,東京).
*
1-3
昔の人は心の在処を脳ではなく,心臓に求めていたのかもしれない.
しかし7000年前のある人間の頭蓋骨には手術した跡が見られ,当時から「脳は大切だ」と考えられていたことが窺える.
1-4
『ネイチャー』の2002年5月2日号には,「ネズミをラジコンにしてしまった」という論文が載った.
ここではその倫理的な問題には触れず,純粋に科学的な観点からこれを考えよう (→1-13以降).
1-5
動物とロボットの違いは何か (→2-1).
1-6
脳の断面は
- 表面の灰色の部分……大脳皮質
- 内側の白い部分……原始的な働きをする部分
から成る.
[表面の灰色の部分は灰白質とも呼ばれる.これに対し,内側の白い部分は白質と呼ばれる.]
大脳皮質には神経細胞(ニューロン)が大量に詰まっており,ゴルジ染色法にて100個または1000個に1個ぐらいの割合で染色するとニューロンを観察できる.
脳の体積を 倍にしたとき,表面積は 倍にしかならない.
しかし大脳の表面にはシワ[脳溝]があるため,大脳皮質の表面積が確保される.
1-7
脳が大きいほど,あるいは脳のシワが多いほど賢い,という通説は正しくない.
実際,ヒトの脳より大きくシワの数も多い脳を持つイルカの知能は,ヒトの3歳児くらいと言われている.
イルカの超音波感知力はコウモリに劣り,鳴き声によるコミュニケーションは〈言葉〉と言えるか怪しい.
1-8
大脳皮質は6層構造になっており,これは全ての哺乳類に共通して見られる.
この6層構造の機能はまだ分かっていない.
[cf. 大脳皮質のコラム構造]
1-9
大脳皮質には視覚野,聴覚野,体性感覚野,運動野のように,異なる種類の情報を処理する場所が局在化している.
さらに
- 聴覚野の中でも,音の高さに応じて反応する場所が分かれている.
- 体性感覚野の中でも,体の部分に応じて反応する場所が分かれている
→ ホムンクルス[小人].
1-10
視覚的な情報は第一次視覚野(後頭葉にある)に達した後,
- WHATの情報 → 側頭葉
- HOWの情報 (動きや色) → 頭頂葉
に分けられる.
1-11
なお視覚野は,一番最初に光の情報が到達する第一次視覚野だけでなく,第一次〜第五次視覚野までが隣接して存在している.
- 第四次視覚野……色に反応する (損傷すると景色が白黒に見える)
- 第五次視覚野……〈もの〉の動きに反応する (損傷すると,物が動いているときだけ見えなくなる)
1-12
刺激すると,腕の初期位置に依らず「いつでも同じ場所に腕を移動させる神経細胞」が見つかった.
他にも刺激すると決まった姿勢や表情になるなど,プログラムされた高次の運動を司る場所が見つかっている (これらは運動プログラム系と呼べる).
1-13
ラジコン・ネズミ (→1-4) では右側の(または左側の)ヒゲを感じる左脳の(または右脳の)部位を刺激し,ネズミが右側に(または左側に)動いたときに報酬系が刺激されて,報酬が得られるようにしてある.
[報酬の得られる刺激部位には,側坐核,中隔,帯状回,黒質,腹側被蓋野などがある.]
1-15
レバーを押すと水を飲めることを学習したネズミに対して,「レバーを押す」という行動中の脳の反応を検出すると,レバーとは無関係に水が出るようにしておく.
するとネズミはレバーを押そうと“想像しただけで”水を飲めるようになった.
同様にサルは,ロボットアームを脳から直接に遠隔操作できるようになった.
これは義手に応用できるかもしれない.
1-16
このロボットアームの実験では「意志」を神経活動として記録したことになる.
1-17
視床から第一次視覚野へ向かうはずの視覚情報が聴覚野へ送られるよう,発達の初期に動物の神経をつなぎ替えると,その動物は完璧ではないが物を見ることができた.
この柔軟性は6層構造が大脳皮質の全領域で共通であることを反映していると考えられる.
1-18
指が繋がったまま生まれ,4本しか指がない人の脳には4本に対応する神経[脳領域]しか形成されないけれど,分離手術によって指が5本になると,1週間後には5本の指に対応する場所ができる.
このように脳地図は体[脳を除く]からの情報によって後天的に形成され,ダイナミックに進化し得る.
[cf. 水槽の中の脳,脳の可塑性]
イルカは大きくてシワの多い脳を持っているけれど,体がヒトほど“優れていなかった”ため,「宝の持ち腐れ」となった.
1-19
イカやタコが小さな脳で多数の腕[脚],さらには吸盤の一個一個をコントロールしていることを考えると,ヒトの脳も「宝の持ち腐れ」と言えなくもない.
実際,水頭症によって脳が健常な人の10%程度の体積しかない人でも,障害が現れないことがある.
[これに関連して,しばしば「人は脳の数パーセントしか使っていない」などと言われる.しかしすでに指摘したように,そもそも人は自分の脳を「使う」ことはできない.]
この意味で脳は「過剰に進化」しており,これは結果的に予期せぬ事態に対応する「余裕」を持っているのだと肯定的に捉えることもできる.
1-20
- 脳は過剰に進化しても,体[脳を除く]は環境に適応する以上に進化する必要はない.[その理由は明確には述べられていない.]
- 高い飛行能力を持つ鳥は,小脳の比率が大きい.
- 脳地図が後天的に発達するにも関わらず,人間同士でほとんど脳地図に差がないのは,手短に言えば,人間はみな同じ形の体を持っていることに関係している.
1-21
大きな荷物を肩に担いで狭い道を通るとき,大きな荷物の先まで神経が行き渡るように感じる.
ここで脳は荷物を体の一部と見なしている.
[あるいは掃除機をかけるときや指し棒を使うとき,掃除機や指し棒は体の一部であるかのように感じられている.]
ここでは体[脳を除く]が脳を決めるのとは反対に,脳が体を決めていると言える.
*
2-1
- 脳は体[脳を除く]が変化し得るという点で,ハードウェアが変わらないコンピュータと異なる.
- 物体に過ぎない脳がどのようにして考えているのかという問題について,Keplerは脳の中で小人が考えているのだと言った.しかしこれでは,その小人はどのように考えているのかという無限後退に陥る.
2-2
心臓の動きや眠くなることは無意識である.
意識して心臓の動きを止めることはできず,また授業中に眠くなるのも先生への嫌がらせとして意識的に行なっているのではない.
呼吸は意識と無意識の境界にある不思議な行動と言える.
2-3
- 工事現場の爆発事故で鉄の棒がフィネアス・P・ゲイジの前頭葉を貫通した.事故の前,彼は真面目で温厚で几帳面な性格であったが,事故の後は一変して,だらしなく下品で怒りやすくなった.ここから心と意識を“生む”のは前頭葉ではないかと考えられているが,仮にそうだとしても,心がどのようにして“生まれる”のかは分からない.[心身平行論に則して言えば,心は前頭葉から“生まれる”のではなく,前頭葉の活動に対応していることになる (仮にそれが正しいとして).]
- 単語のリストを与えられると,脳は例えば「甘い物 (の名前) が集まっている」のように,用語を一般化 (汎化と言う) する.
2-4
- 目がある以上,意識しなくても見えてしまう.目を閉じても,まぶたの裏が見える.
- 目が2つあると立体視が可能になるが,実は立体視ができる人は全体の7割ぐらいと言われている.片目だけでも立体的に見える.
2-5
[確かに〈なんで〉という質問には「理由を聞いている場合と,目的を聞いている場合がある」(p.108).しかし本稿ではすでに断ったように,目的因による説明を排除している.]
同じ長さの線分に矢羽根を付けると,矢羽の向きによって長さが違うように感じられる (下図左側を参照).
この錯視では,脳は遠近を補正している (下図右側を参照.[左側の図で下の線分の方が長く見えるのは,「下の線分の方が奥にあり,実際にはもっと長いはずだ」という脳内補正による]).
しかし棒をつまもうとするとき,人は矢羽根の向きと無関係に同じ幅で指を開く.
2-6
視神経の本数は100万本あり,神経繊維の本数は五感の中で一番多いけれど,デジカメに置き換えると100万画素では粗い画像しか得られない.
ここから脳は目の情報を,デジカメとは違う仕方でなめらかに見えるように処理していると考えられる.
2-7
正方形の映像をパッと縦長の棒の映像に切り替えると,正方形を連続的に縦長の棒に変化させたときと同じ脳の場所が活動し,棒が縦に伸びたかのような動きを感じてしまう.
2-8
脳の時間分解能は10ミリ秒のオーダーである.
- 1秒間に30コマのビデオはスムーズに見える.
- 100メートル走の記録は1/100秒の単位まで表示される.記録を1/1000秒単位より細かく測ることは可能だが,それは人間にとっては意味がない.
2-9
- 視覚野での解析は色→形→動きの順に終わる.[なるほど,動きの検出にはある程度の時間幅を持つ視覚的情報が必要となるだろう.]
- 〈いま〉と感じている瞬間は約0.5秒前の世界である(人生,後ろ向き).
- 複眼を持つ虫や魚眼レンズを持つ魚が[主観的に]見ている,動物にとっての〈世界〉は,[仮にそのようなものがあるとしても]人間には分からない.
2-10
- [客観的・物理的な世界は人間がいる前から実在していたとしても,少なくとも各々の動物が経験する,動物に固有の主観的な世界があるならば,そのような]世界は目ができてから生まれた.[なお既に断ったように,本項では素朴実在論を仮定してある.]
- 人間の網膜には赤・緑・青に対応する色細胞があるから,これらが三原色である.[これは確かに,人間が見る世界にとっての三原色が赤・緑・青であることの説明にはなっているかもしれない.しかし任意の色 が と表されるような三原色 は,係数 が負の値をとることも認めれば,赤・緑・青に限らず任意に選ぶことができる.ただし赤・緑・青の組合せは,負の係数を用いずに多くの色を実現できるような組合せではある.(ファインマンほか,2012,ファインマン物理学 II(富山小太郎訳),株式会社岩波書店,東京,pp.123–124.)]
- 他人が見ている「赤」と自分が見ている「赤」[色のクオリア(→2-15)]が同じである保証はない.
2-11
ヒトの場合,右目の視神経の全てが左脳に向かうわけではない.
右目と左目のそれぞれについて,
- 左側の視界の刺激は脳の右半球へ
- 右側の視界の刺激は脳の左半球へ
送られる.
したがって視神経は半分だけ交叉していることになる (これを半交叉と言う).
2-12
右脳の視覚野を損傷した人は視野の左側が見えないにも関わらず,その範囲に光点や壊れたビルの画像を提示すると,勘で光の位置を当てたり,「このビルには住みたくない」と言ったりする (ビルの場合,見えている視野の右半分には壊れていないビルが描かれている).
このような現象は盲視と呼ばれる.
こうした無意識の判断が可能なのは,視床[外側膝状体]に達した視覚的情報が視覚野だけでなく,上丘にも送られて処理されていることに関係していると考えられている.
バッターにボールが“見えた”[ボールの映像が意識に昇った]ときには,ボールはバッターに届いている.
バッターがボールを打ち返すには,無意識のうちに視覚的情報を判断しなければならず,これにも上丘が関与していると考えられる.
2-13
- 視神経が束になって脳へと出ていく所には網膜がないため,視野には盲点と呼ばれる,見えない範囲がある.
- ここに黒い点が入ると,背景が白い場合,点は消えて白く見える.
- ここに白い点が入ると,背景が黒い場合,点は消えて黒く見える.
これは盲視の擬似体験であり,脳が情報を補完しているものと考えられる.
- 網膜の中心から離れた所では,光の強度を感じる桿体細胞は減少し,色を感じる細胞[錐体細胞]は完全になくなる.このため視界の隅の色は白黒に見え,言い当てることができない.しかし赤のクレヨンを正面から徐々に視界の隅の方に持っていくと,赤のままに見える[これは盲点に入った白黒の点が消えるのとは異なっている].
- 「見る」という行為は無意識の脳の解釈を逃れられない.見ることだけでなく,人間の行動のほとんどが無意識かもしれない.[ここで改めて,無意識の行動のみならず意識的な行動であっても,自由意志によってコントロールすることはできないことを確認しておく.]
2-14
反射の例:
- ハブが温度(赤外線)を感じると噛みつくこと.
- 蚊が温かいものや二酸化炭素に寄ること.
- ノミが酪酸に寄ること.
- カエルが目の前で動くものに食らいつくこと (餌でなくても→カエル釣りに餌は要らない).
- 飛んで陽に入る夏の虫.
これに対して意識の最低条件は「行動の表現を選択」できることであると考える.
[ただし自由意志が存在しない以上,ここで言う意識的な「選択」は本当の意味での選択ではない.]
2-15
感情は「覚醒状態」における「覚醒感覚」「クオリア」であり,「意識」(awareness, consciousness) であるけれど,「クオリア」は表現を選択できないという意味で“無意識”である.
[ここでの“無意識”とは正確には自由意志の介入できないもののことである.
ここで述べられている内容は,無意識の行動のみならず,意識の内容もまた自由意志によって選べないということに他ならない.]
2-16
意識の最低条件は以下の3つと考える.
- 表現の選択 (→2-14)
- [言葉は表現を選択できる例として挙げられているけれど,日常における発話はむしろ無意識に行われているように思われる (→2-22).]
- ワーキングメモリ(短期記憶)
- 「ミカン」と「トカゲ」の違いを意識的に理解するには,「カ」の前後の音を覚えていないといけない.
- [ワーキングメモリは,ある種の無意識の処理にも有用となるだろう.]
- 可塑性
- ランダムでなく経験や学習に基づく選択を行うには,過去の状態によって脳の状態が変わる必要がある.[ただしここでの意識はむしろ自由意志の意味に近く,過去から決定される選択は,かえって自由とは言い難い.ところがそこに,過去から完全には決定されないランダム性を導入しても,自由意志を救うことにはならない.デタラメであることは自由ではないからである.以上のことは,決定論的世界においても非決定論的世界においても自由意志が不可能であることを意味している.]
2-17
表情は意識と無意識の中間と言える.
ただし表情は喜び,悲しみ,怒り,驚き[喜怒哀“驚”と言ったところか],不安,嫌悪の6種類しかなく[それは分類の仕方にも依るだろう],遺伝によって得られる,人種に依らない人類共通の財産と言える.
2-18
連想ゲームは自由に連想しているようであるが(実際フロイトの治療法は「自由連想」と呼ばれる),指(finger)→toe(足の指),foot(足)→leg(脚)といった連想は日本人には不自然であり,思考が言語に束縛されていることが窺える.
[もっとも今の場合,連想ゲームは言葉に関するものだから,言葉の束縛を受けるのは当然である.]
2-19
ウェルニッケ野が働かなくなり,言葉をうまくしゃべれないウェルニッケ失語症に陥ると,優秀な物理学でも抽象的な概念を理解できなくなり,数式を操作できなくなる.
ここから抽象的な思考には言葉が重要であることが示唆される.
[言語野は左脳だけにあり,ウェルニッケ野の他にブローカ野がある.]
ただし言葉を持たないネズミにも,自分のいる場所に反応する神経が海馬に見つかった.
これは[ある種の]抽象的な思考がネズミにも可能であることを意味する.
[同様に我々の思考にも,言葉にならないような直感に依拠している部分があるように思う.]
2-20
抽象的な思考に関係する神経に,以下のようなものが見つかっている.
- ミラー・ニューロン
- 自分が物を口に持っていくときに活動し,他の人が物を口に持っていくのを見たときにも反応するニューロン.
- [ミラー・ニューロンは他者への共感の基盤となるものとして,過剰にもてはやされている.]
- 「2」という数字に反応する神経
- とは言え,例えば「17532」に反応する神経があるとは考えにくい.
2-21
- オオカミの遠吠え,鳥の鳴き声,ミツバチの8の字ダンスは人間の言葉と違って,表現方法が限られている.[もちろんこれは相対的な話であって,人間の言葉に限界がないという意味ではあるまい.]
- 人間はチンパンジーと違って,教わらなくても言葉を覚え,文法を操れる.言葉を操っているときの脳活動のパターンはチンパンジーと人間とで異なっている.
2-22
話すこと,涙が出ること,服のボタンをはめること,歩くこと,人を好きになることなどは考えてみると,ほとんど無意識に行われている.
[繰り返しになるが,ある行為が意識的なものか無意識のものかということと,それが自由意志によるものか否かということは別問題である:意識的な行為もまた自由意志によってコントロールすることはできない.]
2-23
- Libetの実験[これは本稿の第5章で取り上げる].
- 恐怖は喜びや悲しみよりも原始的な感情であり,扁桃体によって[間接的に (→2-24)]“生み出される”.
2-24
- 扁桃体が行っているのは記憶の促進・強化であって,「こわい」という感情は扁桃体ではなく,扁桃体の情報を受け取った大脳皮質の活動で“生まれる”.(それ故に「こわい」とは抽象的である.)[心身平行論に則して言えば,大脳皮質の活動に対応する.]
- 同様に悲しみのクオリアに対応するのは涙を誘発する脳活動のではなく,その〈副産物〉である別の神経活動と考えられる.
2-25
扁桃体を取り除いたサルはヘビを食べようとし,噛まれても学習しない.
またイヌとも交尾しようとする.
扁桃体は「恐怖」を“生み出す”一方で,むき出しの本能的な欲求[上の例では,食欲・性欲]を抑えていると考えられる.
2-26
- 扁桃体は危険な状況を大脳皮質に教えるだけであり,回避する行動パターンなどは扁桃体よりも専ら大脳皮質に記憶される.
- 高い所をこわがる感情,あるいは少なくともそれに先行する,体がすくみ上がるなどの反応は動物に生まれつきのものである.
- 感情[に対応する神経活動]は,その源となる神経活動の副産物だからと言って,何ももたらさないというわけではない.
*
3-1
甘い物の名前が並んだ単語リストを見ると,脳は「甘い物だ」と情報を汎化して記憶する.
これにより
- 多くの情報を迅速に処理できる.
- 脳のキャパシティオーバーを防げる.
また,見たものを写真のように完璧に覚えていては,
同じ人に次回会っても同じ人と認識できない.
- 朝と夕方,夜とで風景の変わる通学路が同じ道だと分からず,通学できない.
- 人によって筆跡の異なる字を読めない.
3-2
下等な動物ほど記憶が正確であり(「雀百まで踊り忘れず」),応用が利かない.
人間の記憶はあいまいだからこそ,臨機応変な適応力の源となる.
特徴を抽出しあいまい性を確保するためには,記憶を保留し,ゆっくり学習することが必要である(なかなか覚えられないのは,脳のこの作用の裏返しである).
3-3
- 演繹法は前提が正しければ,導かれる結論もまた常に正しいような推論である.これに対し帰納法は,限られた事例から一般的なルールを推し量ることであり,汎化に対応する.
- 数学的帰納法は演繹法である.
- 言葉が抽象的な思考や意識・心を可能にし,意識・心が汎化を行っていると考えられる(言葉→心→汎化).
3-4
- 記憶のあいまいさが想像性や創造性につながる.
- 記憶が同じ場所に蓄えられ相互作用するため,雑居した記憶を思い出すことがあるときにはできず,あるときにはできる.これが人間の記憶のあいまいさの理由の1つと考えられる.
3-6
神経細胞は一部の脳の場所を除いて増殖しない.
これにより
- 自分がいつでも自分であり続けられる[アイデンティティが保たれる].
- 脳がパンクせずに頭蓋骨に収まっていられる.
[各々の神経細胞を構成している物質自体は入れ替わっている.]
3-7
バケツ[水槽]の中に何度もボールを落とすと,中の金魚は「ボールは安全だ」と学習する.
この学習に関わる神経をあらかじめ刺激しておいた金魚は,ボールが落ちてきても最初から逃げなかった.
これは記憶を移植できた例である.
3-8〜3-15
生体電気信号の説明については本稿の第2章を参照せよ.
ここでは次の点を特筆するに留める.
- 3-11
神経伝達物質はドーパミン,セロトニン,アドレナリンなど,今分かっているだけで100種類ぐらいあり,1つの神経細胞の神経伝達物質はたいてい1種類だけである.
- 3-12
シナプスにおいてスパイクが来たときに神経伝達物質が放出されるか否かは確率的であり,放出確率は
-
- 筋肉を動かす運動系のシナプスにおいてほぼ100%である.
- 大脳の細胞では20%ぐらいのものもある.
- 連続するスパイクのタイミングに依る場合もある.
- 3-13
神経伝達物質として
-
- グルタミン酸を放出するシナプスでは,受信側の細胞内に を流す(アクセル[興奮性シナプス]).
- γアミノ酪酸を放出するシナプスでは,受信側の細胞内に を流す(ブレーキ[抑制性シナプス]).
- グルタミン酸を放出するシナプスでは,受信側の細胞内に を流す(アクセル[興奮性シナプス]).
- 3-14
抑制性シナプスによるブレーキが効かないと
-
- てんかんのような痙攣が起きる.
- 〈火事場の馬鹿力〉が出る.
- 3-15
- 神経細胞はスパイクを出すか出さないかしかないという点では,「0」と「1」の信号を用いているコンピュータと似ているけれど,「0」と「1」の決まり方に関係するシナプスの正確性はコンピュータの くらいと言われている(→脳のあいまいさ).
- アドレナリン・ドーパミンを受け取るイオンチャンネルはイオンを流さず,間接的に興奮性シナプス・抑制性シナプスのいずれかの活動を強めたりする.
3-16
神経細胞1個の仕組みが分かっても,脳の仕組みが分かったとは言えない.
2つの神経細胞から成る系の活動は理解できても,3つになると何が起こるか予測できなくなる(三体問題).
3-17
神経細胞の集団・ネットワークは[要素]還元主義によっては理解できない複雑系である.
複雑系の典型的な例としては,鳥や魚を模したBOIDと呼ばれる集団運動のシステムが挙げられる.
これは
- 隣の魚に近寄ろうとする
- 近寄りすぎたら離れようとする
- 隣の魚と同じ方向に泳ごうとする
という魚の3つの性質だけを仮定したモデルであり,魚の群れのような運動を再現できる.
3-18
情報の送信側の神経細胞Aと受信側の神経細胞Bを考える.
ヘブはAとBにスパイクが同時に起きると,AB間のシナプスの結合が強くなるという「ヘブの法則」を唱えた.
AとBの活動が同時に起きたことを実際に神経が感知する仕組みは以下である.
Bの神経繊維の根本でスタートしたスパイクはBの軸索末端へだけではなく,Bの樹状突起の方へも広がっていく.
よってAとBが同時に活動したとき,Bの樹状突起はAからやってきたグルタミン酸による の流れと,Bの細胞体からやってきたスパイクによる の流れがぶつかる.
これにより普段よりも大量の が流入したときだけ,鈍感なセンサーであるNMDA受容体が細胞内に を流す.
3-19
Bの細胞内に が流入すると,細胞内に蓄えられるグルタミン酸受容体 ( のチャネル) が細胞膜上に出て来る.
これによりAのシナプスとの結び付きが強まるというヘブの法則が実現される.
NMDA受容体の有無というミクロな要因が記憶力というマクロな性質を決定していることが,マウスを用いて実験的にも確かめられている.
3-20
- AとBが正確に同時に活動しなくても,AがBより約20ミリ秒先に活動する場合には結合が強まる.よってヘブの法則はA→Bの順に起こる活動のパターンを抽出する.
- NMDA受容体を増やせば記憶のスピードは上がるけれど,それが直ちに知能の向上を意味するとは限らない.実際,応用の利く記憶のためには,ゆっくり覚えることが重要である(→3-2).
- 付録に続く.
*
4-1
脳の中では,特に発達の段階で,各神経細胞がどの神経細胞と結び付くかを誘導するような分子メカニズムが備わっている.
4-2
右脳から左の手足に向かう神経繊維と,左脳から右の手足に向かう神経繊維は延髄や脊髄で交叉する.
神経繊維をガイドする分子の情報が書き込まれた遺伝子を壊して,交叉に異常を起こしたネズミを実験的に作ると,ネズミはウサギのように前足と後ろ足をそろえて歩くようになった.
4-3
インプットとアウトプットが単調な一対一の関係にならないためには,神経回路にフィードバック(反回性回路,再帰型回路)が含まれている必要がある.
4-4
- 1つの神経細胞は平均で1万個の神経細胞とつながっている一方で,大脳皮質の細胞は約140億個と言われているため,脳内には実際にフィードバック構造が含まれていることになる.
- 反回性回路が密に含まれているのは順に
- 海馬 (CA3野,記憶を作るのに重要と考えられている)
- 前頭葉
- 視覚野
である.
- 入出力に直接関係していない内部層の神経は,ヒトでは脳の全神経の99.99%を占めている.
- 人が言葉を聞いてから理解するまでの時間のオーダーは0.1秒程度である.シナプスにおける情報伝達は約1/1000秒だから,その間に情報はシナプスを100回程度しか介していないことになる.たったシナプス100個程度のステップだけで,人間の知能(や意識・心)を理解できるのかもしれない(脳の100ステップ問題).
4-5
薬や毒と神経の仕組みの関係.
- アスピリン
- 頭痛に効くが,直接神経に効いているのではなく,血管などに作用して痛みを生み出す物質を取り除いている.
- モルヒネ
- 延髄の痛みを軽減する回路に作用し,鎮痛効果がもたらされる.
- カフェイン
- 神経細胞の内部の情報に作用して,結果として神経全体を興奮させる.
- 麻酔
- ナトリウムチャネルの働きを一時的に止める.
- テトロドトキシン
- フグ毒.全神経のナトリウムチャネルをブロックする.
- 睡眠薬
- GABA[抑制性ニューロンの神経伝達物質→3-13]とともに受容体に付くと,受容体を通る塩化物イオンの通りが良くなる.すると神経の活動が抑制され,睡眠状態になる.
4-6
薬が効くことは経験的に知られており,後からそれを通して体の仕組みが解明されたというのが歴史的な経緯である[あるいは今後,解明される].
以下もそのような例.
- 抗うつ薬はノルアドレナリンやセロトニンに効く.
- 統合失調症の薬はドーパミン受容体に効く.
4-7
老人性認知症のうち約8割はアルツハイマー病によるものであり,残り2割は脳血管の障害によって起こるものである.
血管が詰まるのは脳の病気というよりもむしろ血管の病気であり,それが心臓で起これば心筋梗塞になる.
一方でアルツハイマー病は純粋に神経の病気と言える.
4-8
アルツハイマー病の人の脳は明らかに萎縮しており,神経細胞の減少するスピードも異常に速い.
アルツハイマー病の患者の脳には老人斑という斑点が付着しており,そこにはβアミロイドと呼ばれる小さなタンパク質が含まれている.
βアミロイドは毒であり,シャーレの上で培養した神経細胞にかけると神経細胞はすぐに死ぬ.
4-9
アルツハイマー病の10%は遺伝で起こる.
これを調べると,APPと呼ばれるタンパク質がアルツハイマー病に関係していることが分かってきた.
APPは細胞膜を貫いて存在している巨大なタンパク質であり,その一部にβアミロイドに相当する42個のアミノ酸を含んでいる.
遺伝子のアルツハイマー病では正常な脳よりもAPPからβアミロイドが切り出されやすくなっている.
4-10
ところがAPPの異常では説明できない遺伝性アルツハイマー病の方が大多数と分かった.
後にプレセニリンというタンパク質の遺伝子の異常が発見された.
これは線虫の精子を作るあるタンパク質に似ており,当初はその機能が分からなかった.
APPからβアミロイドを切り出すには,APPを2カ所切らなければならず,プレセニリンはそのうち下側を切るタンパク質であることが今では理解されている.
4-11
神経細胞を殺すのに必要なβアミロイドの濃度はかなり高く,実際に脳に存在している濃度では神経細胞は死なない.
また初期のアルツハイマー病患者の脳では神経細胞はあまり死んでいないにも関わらず,認知症が現れる.
これはβアミロイドが神経細胞を殺すためではなく,神経の情報伝達を阻害することによってアルツハイマーの症状が現れるからであると考えられる.
4-12
著者らの研究によれば,シナプスにおいて放出された神経伝達物質(脳では大抵,グルタミン酸)を回収するグリア細胞の働きを,βアミロイドは盛んにさせる.
すると情報が伝達される前に神経伝達物質が回収されてしまうため,情報伝達が阻害されることになる.
これはβアミロイドがアルツハイマー病を引き起こす仕組みの1つの側面と考えられる.
なお,研究のアイデアはふと思い付くことがある(セレンディピティ).
[「運も実力のうち」と言われるが,正しくは「実力も運のうち」である.]
4-13
アルツハイマー病の治療として,プレセニリンの働きを抑えてβアミロイドの産生を止めることが考えられる.
しかしプレセニリンには他の役割があり,その働きを抑えてしまうと体の機能に副作用が出ることが分かってきた.
APPの上側を切るタンパク質はβセクレターゼと呼ばれており,その働きを抑えることも考えられる.
こちらは上手くいくかもしれない.
- 脳には1000億個の神経細胞がある.
- 脳の細胞の90%ぐらいはグリア細胞だと言われている.
- 病気の治療は対症療法と抜本療法に分けられる.
4-14
βアミロイドが蓄積される前にβアミロイドを投与し,抗体を作らせる「βアミロイド・ワクチン法」が有効である(毒をもって毒を制す).
4-15
アルツハイマー病ではアセチルコリンを神経伝達物質に持つ神経細胞が死にやすい.
ところでアセチルコリンはアセチルコリンエステラーゼによって分解される.
そこで対症療法として,アセチルコリンエステラーゼを抑えてアセチルコリンの不足を防ぐことが考えられる.
ただしアセチルコリンエステラーゼを阻害しすぎると,アセチルコリンが過剰に働き,
- 瞳孔が閉まって視界が暗くなったり,
- 記憶がどうしようもなく蘇ってきたり
する(そのような毒にサリンがある).
4-16
- アセチルコリンを抑えるもの
チョウセンアサガオの成分.
瞳孔が開いて美人になれるため,チョウセンアサガオはヨーロッパでは「ベラドンナ」(美人という意味)と呼ばれていた.
ただし瞳孔が開いた状態だと,太陽の光がまぶしすぎるだろう.
- アセチルコリンエステラーゼを抑え,アセチルコリンを増やすもの
[4-15のサリンの他に,]「カラバル豆」と呼ばれる植物から取れる「フィゾスチグミン」という成分.
古代アフリカでは「裁きの豆」と呼ばれ,容疑者に飲ませて中毒死したら有罪,生き延びたら無罪とされた.
4-17
- アルツハイマー病が自然淘汰されなかったのは,それがほとんどは年をとってからの病気であり,病気になったときにはすでに子孫を残しているためかもしれない.
- アルツハイマー病は現代になって人間が長生きするようになってから顕在化してきた.
人類は,良いか悪いかは別にして,現代の医療技術がなければ淘汰されていた遺伝子を保存している.
これは環境に合わせて動物が変化する遺伝的な進化を止めて,逆に自分の体に合わせて環境を変化させていることを意味する.
[もちろん,他の種も多かれ少なかれ環境に干渉し,環境と相互作用しながら生きている.(なお,生物は流れゆく物質が一時的に形作る淀みのようなものであることを考えれば,生物と外界の間の線引きは困難となり,内部環境と外部環境の間の境界は消失する.あるいはそのようなものは初めから存在しなかったのである.)]
[著者自身が「僕はそういうの〔現代の医療技術がなければ淘汰されていた遺伝子を持つ人が子孫を残せていること〕を批判しようとしているわけではない」と述べているように,「繁殖には自然淘汰の原理が働いてきた」という事実命題だけから,「自然淘汰の原理を受け入れるべき」という当為命題を引き出すことはできない (Humeの法則).]
4-18
着床前診断によりある種の障害をもった受精卵(胚)を排除できる.
また“優秀な”精子と卵子だけを選んで生まれるデザイナー・ベイビーの可能性が出てきた.
4-19〜4-22
第1章からの内容の総まとめ(4-19),感想(4-20〜4-22).
*
5-3
- 脳は「入出力相関」を解明する方法では理解できないのではないか.
- 一般的な市販のコンピュータは直列的な処理しかできないのに対し,脳は膨大な数の並列処理を同時に行なっている.
- 脳は“自発的に”変化している(「脳の非エルゴード性」と呼べる).
5-4
脳は外から刺激を受けなくても,常に“自発的に”活動しているという例:
- 暗闇でも脳の視覚野は普段と同じくらい活発に自発発火している(神経ノイズ).
- 大脳皮質は深い睡眠(ノンレム睡眠)のときに最も活動し,ほぼ全部のニューロンが一斉発火する.
5-5
- 脳は体重の2%程度しか占めていないにも関わらず,全身で消費されるエネルギーの20%は脳で消費されており,そのほとんどは自発発火(脳のノイズ活動),特にグルタミン酸をシナプス小胞にロードする(鉄砲に弾を込める)過程で消費されている.
- 脳のエネルギー消費率は(400kcal/日)=(20ワット)である.これは5ワットの豆電球4つ分であり,その電気代は月額300円に過ぎないことを考えれば,ヒトの身体は熱効率が良いと言える.
- 眠っている間に脳が自発活動をやめたら,朝起きたとき自分を寝る前の自己と同一視できないかもしれない.そもそも自発活動が停止した状態から脳活動を再開できるとは考えにくい.
5-6
ジャンケンでどの手を出すか,なぜ恋人を好きになったかなどを考えると,ヒトの選択にはあまり明確な根拠がなさそうである.
ヒルは体を棒でつつかれると,泳いで逃げるか這って逃げる.
ヒルはニューロン数が少ないため,どちらの方法で逃げるかを選択する“意志決定”に関わるニューロンを突き止めることができた(神経節8番の,番号208のニューロン).
このニューロンに電荷がたまっている状態で刺激が来るとヒルは泳いで逃げ,電荷があまりたまっていない状態で刺激がくるとヒルは這って逃げることが分かった.
このため“意志決定”は膜電位のゆらぎで決まっていることになる[少なくとも直接的原因に関しては.ただし「選択」に寄与する間接的な原因を考えたところで,何ら自由意志を救うことはできない.またゆらぎが決定論的であるか否かに関わらず,自由意志は存在し得ない.].
5-7
単語リストを被験者に見せて,数十分後に単語が書いてある別の紙を見せ,その単語がリストの中に含まれていたかを尋ねる実験を行ったところ,単語を提示するより前の脳波の状態によって正解か不正解かが予測できることが分かった(100%ではないが有意な確率で).
つまりどの単語を問題として出すかに関わらず,脳波を見ると,「いま問題を出せば正解する(または外す)」ということが実験者には分かる.
5-8
血圧の値や脳波の状態を目の前に提示すると,意識的に血圧を上げ下げしたり,特定の脳波を出したりできるようになる(バイオフィードバック).
[このような作用を自由意志と混同してはならない.]
5-9
視床の外側漆状態が網膜から受け取る情報は全シナプスの20%に過ぎず,視覚野が視床から受け取る情報はさらにその15%に過ぎない.
すなわち視覚野が網膜から受け取る情報は全体の3%に過ぎず,残りの97%は脳の自発活動におけるゆらぎの内部情報を受け取っている.
網膜から上がってきたわずかな情報に対して,自発活動がトップダウン処理を行い,情報を埋め込むことにより,例えば机の位置がずれてもそれを同じ机と認識できるのかもしれない.
5-10
- ゆらぎによって,最善とは思われない選択肢を試すことができる.
- 当たる確率がゆっくり変わっていくスロットマシンを用いた実験により,当たっているスロットマシンを選び続けるときと,たまに違うスロットマシンを選ぶときとで脳の働く部位が異なることが分かった.
- [機械学習の分野では,このような性質を反映した学習戦略にε-greedy法がある.]
- 人の話を理解するには,経験や予備知識に基づいて,次に何を話すかを予測することが必要であり,脳の自発活動は予測に関係していると考えられる.
- ベイズ統計では予備知識が重要である.
- 地下鉄の騒音の中でも会話ができるのは,音の断片や口の形を基に,脳が情報を埋め込んでいることによる.この例では,シグナルよりノイズの方が大きい(S/N比が1以下).
5-11
- 客観性・再現性を求める科学によって,主観的な対象である意識や心を扱うことができるだろうか.
- そもそも全ては主観によってしか捉えられない以上,客観性などあり得ないのではないか.
- 科学的知識は絶対ではない以上,最後は「信じるか信じないか」という問題に行き着くのだとすれば,そこには宗教的な要素が残ると言うこともできる.
5-12
植物状態の女性に「テニスをしているところを想像してください」「自宅の部屋を歩き回っているところを想像してください」といった依頼を聞かせると,それぞれテニスに関係する運動野と,空間認識に関係する脳部位が活動した.
論文の著者はこれを以て植物状態の女性に意識があるとしているけれど,これでは表現を選択できているか分からないため,意識と言い切れない.
[著者は意識の必要条件に「表現を選択できること」を挙げているけれど,これは意識よりもむしろ自由意志の意味に近い印象を受ける.
ところで自由意志は存在しないから,意識は「表現を選択」できない.
このため植物状態の女性がどのような反応を示したとしても,「表現の選択」を意識の条件とする限り,そこに意識の証拠を見出すことはできないと考えられる.]
極論すれば,パソコンがサイコロをふっても意識があると言えるかもしれない.
[しかしサイコロを振って得られるようなランダム性は,著者が意識の条件と考える自由度を意味しない.]
5-13
仮に脳にある1000億個のニューロンの活動を全て同時に把握できたとしても,意識やクオリアを理解・説明できたことにはならない.
5-14
科学は対応関係(相関関係)を立証することはできるけれど,因果関係は解釈に左右されるものであり,科学によって分かることではない.
- 夜,常夜灯を点けて育てられた子供には,将来,近視になる人が多いけれど,常夜灯を点けたから近視になるとは限らない.むしろ近視の親は子供がよく見えるように夜,常夜灯を点ける傾向があり,そうした親の子は遺伝により近視になる場合が多いとも考えられる.
- 人を好きになるときの脳の活動を見ても,それが愛の源とは言えない.
[対応関係と因果関係の違いを示す簡単な例に雷がある.すなわち落雷の音の前には雷の光が見えるけれど,光が音の原因になっているわけではない.正しくは光も音も,大気中の放電という第3の原因によって引き起こされるものと考えられる.]
5-15
1000兆個のシナプスがある脳の状態が時間変化していくと,再び同じ状態に戻ることは考えにくい(非エルゴード性).
このため,脳には再現性がない.
*
付録
ヘブの法則 (→3-18~3-20) を反映した,以下のような脳の記憶のモデルが紹介されている[連想記憶モデル].
複数の神経細胞から成るネットワークを考え,
神経細胞 を送信側,
神経細胞 を受信側
とする 間のシナプス結合の強度を と書く.
ただし に対しては とする.
また,初期状態を にとる.
次に神経細胞 が
活動している状態を ,
活動していない状態を
によって表す.
ある の組 によって与えられる活動パターンが起きたとき,結合強度 は
と変化すると考える.
すると と が
同符号のとき結合強度は1だけ増加し,
異符号のとき結合強度は1だけ減少することになるので,
これはヘブの法則の一つの定式化になっている(※).
次に複数のパターン を順に神経系に起こす場合を考える.
これらの中には同じパターンが含まれていても良い (同じパターンを繰り返し学習することに対応).
これにより結合強度は
となると考える.
あるパターン を“思い出す”には,これに行列 を左からかければ良い:
ここで記号 は, のように,正の数は ,負の数は と同一視することを表す.
実際,上式の左辺を計算することによりパターン がある程度正しく得られること,また学習回数の少ないパターンは完全には再現できない場合があることが,具体例を用いて説明されている.
さらにパターン のある成分だけが思い出せないような場合を考えて,その成分をゼロとして上式の左辺を計算すると,正しいパターン を再現できる場合があることが具体例を通して確かめられている.
これは思い出せない情報を推論しているものと解釈できる.
※ 付録では言及されていないが,本稿の式では神経細胞 がともに活動していない のときにも結合が強まると仮定していることになる.
5.Libet『マインドタイム』
Libet は神経活動と内面的経験との間の時間的関係に焦点を当て,心身の関係や自由意志の有無といった問題に科学的にアプローチしてきた.
科学的な真理とは蓋然的なものであるため,こうした形而上学的な問題に決着をつけることは不可能であると考えられる.
繰り返しになるが,自由意志が存在しないことは,経験科学の知見に左右されない,より根源的な論理の上の事実であるように見える.
とは言え,Libet が示唆することは興味深い.
そこで Libet の見解を以下にまとめる(ベンジャミン・リベット,2010,マインドタイム (下條信輔訳),株式会社岩波書店,東京,p.15,p.39,pp.82–83,p.92,pp.105–106,pp.111–115,pp.125–129,p.161,p.165.).
- 刺激が意識に上る,すなわちアウェアネス (気づき) を生み出すには脳の適切な活性化が最大で約 0.5 秒続くことが必要であり,このためアウェアネスは実際に刺激が与えられた時点からかなりの時間遅延する.
- アウェアネスが意識に現れる前に, 他の入力によって経験内容が変更・歪曲されるのに必要な生理学的時間は十分にある.
- 内面的経験は刺激が起きた時点まで,自動的,無意識的,かつ主観的に逆行して遡及するため, 主観的にはアウェアネスの遅延に気付かない.
- 無意識に進行する精神活動 (興味を惹いたもののみ).
- 車の前に少年が飛び出してきたことを自覚する前にブレーキを踏んでいること.
- 数学者が一旦,意識的な思考を中止すると解法の発見に繋がること.
- 創造的なアイデアが夢や空想の中に現れること.
- 発声,発話 (告白),作文.
- 楽器の演奏,歌唱.
- 野球でバッターが無意識にボールのコースを感知しスイングするかの決断をすること.ピッチャーが投げたボールが自分に届くまでに意識的にこのようなことをする時間はない.
- 自由で自発的な運動に至る準備の起動は脳内で無意識に始まっており, 「今,動こう」という願望や意図の意識的なアウェアネスよりもおよそ 400 ミリ秒かそれ以上先行している.
- しかし無意識の脳活動によって開始されつつある運動行為を,意識を伴った意志は実行または「拒否」する余地がある.
以上の3点のうち,人の行動の大部分が無意識によって実行されているという第2の点は,無意識を重視したFreudの見解に重なるものである.
実に人は意識せずとも,無意識の神経処理により高度の振舞いを実現する.
ここで無意識の神経処理はゾンビシステムと呼ばれることもある.
このことを鮮明に印象付ける事例に「盲視」が挙げられる.
これによれば,脳組織の萎縮により目が見えなくなった者も,郵便の投入口が見えず向きが分からないにも関わらず,手紙を投入口に差し込むことができる.
また右の1次視覚皮質を手術し,視野の左半分が見えなくなった者も,例えば視野の見えない範囲で棒を縦にしたり横にしたりすると,棒が見えていないにも関わらず棒の向きを正しく「推測」できる.
(V・S・ラマチャンドラン,サンドラ・ブレイクスリー,2011,脳のなかの幽霊(山下篤子訳),株式会社角川文庫,東京,pp.114–116,pp.130–132.
池谷裕二,2007,進化しすぎた脳 中高生と語る[大脳生理学]の最前線,株式会社講談社,東京,pp.135–138.)
さらにSpinozaは「精神の指図なしに生じうるとはどうしても信じられないようないろいろなことが,ただ自然の法則のみから起こること」の例として,「夢遊病者が睡眠中にしたこと」を挙げている.
次いでおしゃべりについても「身体の自発的運動によって起こっている」とし,心身平行論に基づいて「身体がときに運動し,ときに静止するのは,ただ精神の命令によってであり,身体の行動の大部分はたんに精神の意志や思考のたくみさによってきまる」という思い込みを退けている.
(スピノザ,2011,エティカ (工藤喜作,斎藤博訳),中央公論新社,東京,pp.180–187.)
なお,しつこいようであるが,無意識の行動,反射,不随意的な反応のみならず意識的な行動もまた自由意志によってコントロールすることはできない.
*
また第3のLibetの実験は自由意志を否定する論拠となり得るものとして有名である.
ただしこれについては例えば次のような批判があり得る.
もしあなたが意志決定を行う実践理性の座にいるならば,腕を動かそうと決断した時刻の読みを視覚中枢に取りに行くのに時間がかかるため,見かけ上は準備電位よりも後に腕を動かす意識的な決断をしたことになるけれど,実際には準備電位と同時に意識的な決断を下したと考え得る.
このように意識に昇る材料を用いて判断を下すあなたの存在を仮定する限り,同様に自由意志を救う余地を見出すことができる.
しかしそのような単純化された非現実的なモデルに関する仮説は魅力的に思われないかもしれない.
そこで自由意志をより賢い方法で救うべく,あなたを脳の中の空間時間双方に分散させると,これは自由意志を救うどころか,かえって自由意志を困難なものにすると考えられる.
(ダニエル・C・デネット,2009,自由は進化する(山形浩生訳),NTT出版株式会社,東京,pp.317–337.)
6.書評
読書案内も兼ねて,以下では本項で十分に触れられなかった脳・神経科学に関する一般向けの読み物を紹介する.
6.1 フロイド・E・ブルーム他『新・脳の探検 上・下』
脳・神経科学に関する真面目な教科書.
バランスが良く,辞書代わりに用いることができる.
最初から順に読み進めようとすると,やや辟易するかもしれない.
6.2 アントニオ・R・ダマシオ『感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ (田中三彦訳)』
著者ダマシオは情動を身体反応として定義しており,心に現れる感情と区別している.
その上で,最初に情動 (身体反応) が現れ,次いで脳に対応する身体マップが形成されて感情が生じるという見解を示す.
生物進化において感情は情動よりも後に現れたことを考えれば, 実際に起こる反応が情動→感情の順であるのは頷ける.
なお心身平行論に基づけば,脳に形成された身体マッ プがもたらす,感情と呼んでいるものは,正確には心の状態ではなく感情に対応する脳の状態のことであると考えれば良い (下図参照).
興味深いことに,これはミソフォニアと呼ばれる病気に関して解明されつつあることと整合している.
ミソフォニアとは特定の音を聞いたとき,反射的に強い怒りや不安に襲われる神経学的な異常とされている.
問題となる音はトリガー音と呼ばれる.
実はミソフォニアの当事者本人は大抵自覚していないけれど,トリガー音に対する否定的な感情が現れる前に,実は特定の筋肉の収縮のような身体の反応が起きていることが分かっており(!),これがミソフォニアの理解と治療の鍵となる可能性がある(Dozier,T,H. (2017). Understanding and Overcoming Misophonia, A Conditioned Aversive Reflex
Disorder Second Edition, Published by Misophonia Treatment Institute,pp.55–63).
この仮説は奇しくも,一般に感情は先行する無意識的な身体の反応を脳が“感知する”ことで“生み出される”のではないかという,脳・神経科学者ダマシオの見解に合致している.
6.3 V・S・ラマチャンドラン他,『脳のなかの幽霊(山下篤子訳)』
本項で言及した盲視の例の他に,葬式中に笑いが止まらなくなり,しばらくして死亡した人など様々な興味深い症例を取り上げ,脳の謎に迫る.
6.4 クリストフ・コッホ『意識の探求──神経科学からのアプローチ 上・下 (土屋尚嗣,金井良太訳)』
どのような脳活動が,いかにして意識を生むのか,心脳問題に科学的に取り組む.
意識が脳活動から生まれるとする随伴現象説に私は懐疑的であるけれど,あくまでそれは作業仮説として受け入れることができる.
意識と脳活動の間には相互作用はなく,対応関係があるだけだとする心身平行論においても,なお,その対応関係が具体的にどのようなものなのかということには興味が持たれる.
6.5 甘利俊一,深井朋樹『シリーズ脳科学1 脳の計算論』
脳が何をやっているかを理解するには,それを数理モデルによって表現することが不可欠であるように思われる.
この本では脳の計算論に関する主要な結論が網羅されている.
ただし内容をこの本だけで理解するには,少々説明が物足りない印象を受ける.
内容は以下の通り(個人的な興味に基づくメモ,私の見た限りでの印象などを簡単にコメントしてある).
*
第1章 総論
第2章 ニューロンとシナプスの数学的モデル
積分発火型モデル,ホジキン-ハクスレイモデルなど.
第3章 リズム活動と位相応答
位相縮約をはじめとする,同期現象を扱う数学的手法を用い,ニューロンの各モデルに対して同期の特性が論じられている.
2個のニューロンに対する議論が大部分であり,ニューロンが多数ある場合の議論は簡単に触れられているに過ぎない.
第4章 神経ダイナミクスと確率過程
シナプス入力電流をガウシアンホワイトノイズによって記述する近似の下で,膜電位 の時間変化を記述する積分発火モデルはLangevine方程式に帰着する.
このとき膜電位のヒストグラム はFokker-Planck方程式に従うことが知られている.
これが議論の出発点となる.
第5章 意思決定とその学習理論
ニューロンの集団活動の発火頻度による入力刺激の復号,価値に基づく意思決定と行動選択の2つについて,それぞれ集団符号化の理論,機械学習という既存の数理的枠組みを用いて脳の働きを解釈する.
これらの数理モデルは,ニューロンの配線などの脳の生理学的なレベルの知見からボトムアップ式に導かれるものではない.
第6章 スパイクの確率論
第7章 スパイクニューロンの回路モデルと認知機能
6.6 水波誠『昆虫──驚異の微小脳』
新口動物の頂点に位置付けられるヒトの巨大脳を,旧口動物の中で最も繁栄している昆虫の微小脳と対比し,しばしば下等生物と軽蔑される昆虫の微小脳の“賢さ”を解き明かす小気味の良い本.
面白い.